生まれ変わった?第2世代?2号機?なんでも いいや 新・私は、何も考えない行き当たりばったり さんになった。 学校は行くけど下番置いてぷらぷらしていたか と思うと気になった授業にはちゃっかり 出席する。 私が主に気になったのは商業科であったこと もあり情報処理科。 1人1台パソコンをあてがわれ 電源入れるためのプログラムを入力して パソコンを立ち上がる とてもめんどい授業だ。 なんかめんどくさいことしてる時って 集中出来たりする。 楽しいことと
長い間続きを書けなくてごめんなさい。 トラブル続きで書く内容が増えてしまった。 背景もストックがなくなってしまった。 これから続きを書いて行きます。 こう言うのを筆が遅いとか言うのかな? それでは前回の続きから 15歳の私はどうしていいかわからず 悲しみに耐える日々を送っていたが とうとう限界になり 自分の分身(イマジナリーフレンド)を作ってし まった。1人は元々の私。もう1人は私によく 似たわたし。 そして元々いるオリジナルの私を殺すことにし た。
これから書いていくことは自分の心の中にいつもあって、でもやっとのことで封印した事柄である。 あまり感情は入れず事実だけをまず 私が高校1年の一学期の夏 愛しの人が交通事故で亡くなった 亡くなる1時間くらいまで電話で話していて 私は友人といるから帰りは遅くなると報告していた。 1人で友人の集まっているところに行ってくるとの事だった。 私が帰宅前に愛しの人へ電話を入れたが 家族の方がまだ出かけていると教えてくれた。 今まで1日足りとも帰宅後の連絡がないことがなか
人は生きてるだけで学べると思ったのもこの頃だったと思う。 まだ生まれて十数年 言葉とコミニケーションの基礎を覚えただけでも偉いと思う。 まだ小さい小さい世界で生きていたけど それでも生き残るのは必死だったんだろうな 周りの他人を見ながら一歩づつ一歩づつ成長し生きていた。 そんな私に大人でも耐えられそうにない出来事が起こってしまった。 これから語るのは他の人々がどう乗り越えて生きているのかはわからないが私は今でも乗り越え続けている出来事だ。 いつか乗り越えて変わ
交際が始まってデートとか何を話したら相手と会話が弾むのか問題が山積みだった。 なんせ初体験 お相手は2つ年上だから何をするのも さりげなくリードしてくれてたのだろう 悩むまでもなく、なんだかすんなりデートして手を繋ぎと楽しい日々を過ごしていた。 ある日、私は友人と喧嘩した。 いつものことである喧嘩と呼べるのか一方通行な言いがかり。 当時の私はそう捉えていたがきっと問題は私にもあったのだろう。 時が経たなければわからないことが若い頃は多い。 特に気にすることもなく恋人に会いにい
少し間が空いてしまいましたが、前回の続きから 世紀の告白から1週間特に連絡をするとかこちらから学校で声をかけることもなく、あの時は夢だったのかと思う日々を過ごしておりました。 ちょうど1週間経ったころ下校中後ろからわたしの名を呼ぶ透き通った声がして振り返ってみると 愛しの人の姿が。。。。 ぎこちなく挨拶したわたしに そっと1枚のメモを渡して それじゃ、また と帰って行ってしまいました。 友達に覗かれないよう背中を丸め そっとメモを開くとそこには電話番号が!?
まだまだ続きますよ。恋バナ 中学三年生のとある日 先輩に呼び出しを食らって (いい意味での呼び出しです) みんながたむろしている公園へやってきた。 そこには絶賛片思い中の愛しの人もいるではないか。 めちゃくちゃ意識してます。を必死で隠して隠しきれなくてソワソワしながら、みんなの輪の中へ入っていった。 私は同学年にはめちゃくちゃ嫌われていたが先輩方には何故か可愛がって貰っていた。 正直めちゃくちゃ怖いのだけれど 同学年の嫉妬と全校生徒の視線が毎日刺さるので出来
恋バナパート2である 中学1年の初恋とは大人になってみると なんとも、焦れったいもどかしいものだと思ってしまう。 当時の私は毎日がキラキラ輝くような日々であっただろうが今思うとなんとも気の長いこと 片思いの相手が卒業するまでの1年間は、朝登校する時間をリサーチし、帰り時間も抜かりなくリサーチし、ひたすらリサーチして見つめるだけのルーティーン 何が楽しいのか??? それがとても楽しかった 現実はイジメ攻撃に合っていたがヘラヘラヘラヘラしていたと思う イジメだとか
初恋の話をしよう 中学1年の夏休み、することがなく小学生の時より広くなった学区を散策していたある日のこと 白いバイクに白いショートパンツ長めの髪を風になびかせて綺麗な弧を描いて私の前を通り過ぎる 横顔に見とれてしまった。 とても晴れていて暑い夏の日 とても爽やかで美しい横顔 後から気づいたが一目惚れと言うやつだろう その日からあの美しい横顔が忘れられなかった 二学期が始まり私は二学期は無事に終わりますよーにと心の中で祈りながら学校へ行くと 夏休みのある日にみ
辛い中学時代 やり過ごす為に私は頭の中にもう1人の私を作った。 なんでも言える 隠す取り繕うこともしなくていい 私が死ぬまで一緒にいてくれる友達だ 私とは違って毒舌で人をバカにしたところもある もう1人の私はすべて受け入れてくれた。 多重人格とは少し違う 多重人格なら入れ替わって助けてくれていたはずだから 一日中頭の中で会話をしていた それでも他の人と関わりたいと願うときは ラジオを聞いていた 自分に語りかけてくれてるわけではないが少し人と繋がったよう
中学時代から 中学時代は3年間と言う短い期間であるにもかかわらず非常に長く感じた。 苦痛と逃避と罪悪感の日々は1日を長く感じさせるものだ。 詳細に書くと書いてる自分まで不快になりそうである。 人がいる限りイジメはなくならない。 集団で生きている動物にだってある。 どちら側にいても苦痛でつまらなく無駄な時間だ。 今の時代に10代だったらイジメられずに済んだだろうか。 誰かをイジメているのを見ずに済んだだろうか。 そんな訳ない。今もある。 私のイジメに対する抵
私が中学へ入学してからの話。 中学へ入っても未だ母と3番目は入退院を繰り返していた為、家事プラス自分のお弁当作りが始まった。最初は楽しく作っていて5月にはオムライスで鯉のぼりを作ってみたりとキャラ弁の真似事のようなことまでやっていた。 ある日教室でいつものようにお弁当を食べていると、あまり好かれていない担任が立ち上がり大きな声で ◯◯は毎朝自分でお弁当を作っています。 とても偉いですねー みなさんも見習いましょう と言いやがった。そうだ、言いやがったんだ。 その
高学年からの話 母の3番目に産んた子供は異常分娩で心臓と肺に疾患があり2人して入院してしまった。すぐに退院するて思っていたがなかなか退院してこなかった。 家事が、全く出来ない父と小学校低学年の2番目 ずっと祖母の家に居候していればよかったのに、なにも家事が出来ない3人の暮らしが始まった。父は早く帰ってくるようになって、私は炊事洗濯家事全般を1人でこなすことになってしまった。 父に小学校の料理本を1冊買ってもらい、料理を勉強した。そこそこ慣れてきた頃だ。 魚を焼こうと
なんやかんやのところから始めることにします。 小学校低学年~中学年の頃、母に3番目の子供が出来た。 1人で2人の子供と身重ではとても辛かったであろう。私も2番目も歳相応にやんちゃな子供であったし、なにしろ当時にしては高齢出産になるからだ。 当然のように私と2番目は母方の祖父母に預けられることとなった。 私は祖母に2番目は祖父に懐いていた。必然とし祖母の手伝いは私がしていた。 今でも時々思い出すことがある。 祖母と近所の養鶏場へ玉子を買いに田んぼの畦道を大きなザルを
小学校の入学式 私の身長は1mなかった。後ろから見るとランドセルに足が生えてるようだ。 決められた教室の決められた机と椅子 椅子に座ると足が届かない。 机と椅子に座った自分の隙間をなんとか埋めようと机を引っ張るがなかなか動かない。 幼稚園は小学校より遠かったけど、幼稚園がよかったと入学初日の感想だ。 なんともつまらない入学式だ。 そもそも入学式はつまらない。 卒業式には在学中の思い出があるが入学式にはない。期待や理想があると言う方もいると思うが私はいつも未来を
母の2人目の子供は丸々とした元気な赤ん坊だったが見た目とは違って身体が弱かった。幼稚園の頃から登校拒否になり私は1人で留守番することが多かった。今思えば父は3ヶ月に1度顔を見るか見ないかで大人は母1人。妹は身体が弱かったわけでも登校拒否する程嫌なことがあったわけでもなく母を独り占めしたかったのだろう。私はこの頃くらいから両親にも他の大人にも甘えることがなかった。甘えられる対象がいなかったのだ。今となってはよかったと思う。甘えると甘えられてしまうと思い怖くなる。我が子には甘えて