それでもパリマラソンが好き?パリマラソン2024参戦記
4月7日、自身3度目のパリマラソンを走ってきた。今回はその記録と超番外編。
1 過去2度のパリマラソン
これまでに2度、2018年4月と2021年10月にパリを走った。
いずれも自己ベストを更新。
初マラソンの大学4年時の2006年3月から前回のセビージャまで、これまでにマラソンを43回走ってきた。
初マラソン後、自己ベストを更新した大会は、42回中6回であり、そのうち2回がパリということで、自身にとって非常に縁起が良く、思い出深い大会。
2018年4月の初回は、今でも理解不明だが、11年間手が届きそうで届かなかった自己ベストをようやく更新することができた、自身のマラソン人生で最も嬉しかった、印象的なレースの1つ。
2021年10月の2回目は、2回目のフランスに来て間もないとき。十分に練習が積めず、1ヶ月前のパリハーフで調子の悪さに危機感を抱いた。2018年の滞在時と同じクラブに入り、きっかけを掴み、レース当日は、ラスト数キロからの過去の自身との戦いを勝ち6秒更新。
3回目のパリ。縁起良い、しかもコースもよく知る大会だけに、自己ベストは難しいとはいえ、以前書いた、公認記録2:35:00以内で走り、今年12月の福岡国際マラソンの参加資格を得たい、という気持ちで出場。
2 3回目の結果
公式記録は2:37:58。
全体 202位/54175人
年代別(40-44歳) 19位/5069人
5キロ毎のラップは次のとおり。1818-1826-1813-1827-1822-1848-1921-1949-814
キロ3分40秒、5キロ18分20秒で押して行くことが、2:35:00には必要だったが、で25キロ以降に3分40秒で押せなかった。
セビージャでは30キロまでは3分40秒で行って、その後も3分45秒を維持して、2:34:58(ネットタイム)だっただけに、今回の落ち込みが顕著であったということ。
この舞台裏について書きたい。
単純に実力不足で終わりといえば終わりだが、今後パリマラソンを走る、関心を持つ方に多少なりとも役に立てばと思い、パリ在住者らしい情報も入れたい。
3 コース戦略が重要
後半大きくペースを落としたが、この要因にはコースの影響がある。
2年前のパリではフランス記録も更新される高速コースでもあったが、昨年からコースが変更。
前半の一部、さらに後半35キロ付近から、変更されている。
上記は自身のGarminの記録。
前半と後半に大きな山、そしてその両方の山以外にも小刻みのアップダウンが続く。
横軸が時間なので分かりづらいが、前半は17から19キロ、後半は37キロ以降、継続的に登っていく。
自身としては、前半は余力があるので大したことないという印象。19キロまで来ると、どんどん下っていくので、そこでいいリズムを掴めると後半勢い付くことが可能。
19キロ以降どんどん下っていくと25キロ付近から、セーヌ川沿いに下りる。予定どおりならば。
予定どおりならば、上の写真にあるようなセーヌ川沿いを走って、パリ中心部に戻っていく。
このコースはかなり平坦で、また最後の約1キロ程のトンネル部分は、ノリノリの爆音での応援を受けテンションが上がるところ。
ところが、今年は、大会開催数日前から雨が続いており、セーヌ川が各所で氾濫しており、コースが急遽変更された。
1週間前にも25キロ以降の試走をしていた。
河川敷を気持ちよく走り、その後に向けて勢いを付けたいと思っていただけに、この変更には驚いたし、精神的にも多少なりともダメージがあった。
変更に伴ってより走りやすいコースになれば良いが、プラスよりもマイナスの方が大きかった。
小刻みなアップが25キロ過ぎから始まり、さらに28キロ付近のトンネルの上のルーブル博物館付近はずっと石畳。
結果、勢い付けるどころか、勢いを大きく失う形となった。
コース変更に伴う、公認コースとして距離は大丈夫なのか、という気もする。
例年は河川敷を走るので、上記は参考にならないだろう。
いい面でも悪い面でも、このようにフランスは柔軟、いい方を変えれば適当。
コース変更に拘らず、28から32キロ付近(エッフェル塔付近)までは、大きな橋の度に、下って上る、というのが、4回繰り返される。
しっかりと脚が残っていれば問題ないものの、前半の坂で脚を使っていると、この坂で更にダメージを負う。
その結果として、37キロ以降のダラダラと続く坂が相当手強く感じられるだろう。ダメージがなければ決して大したことはない坂だが、今回の自分にとっては相当苦戦を強いられた。
最後の40.5キロ以降は一気に下っていくので、
そこは最後の力を振り絞ってゴールに駆け込んで欲しい。
4 仲間に支えられたパリマラソン
日本の大会で、エントリーしてない人が大会参加者に並走することは通常不可だろう。
パリの規模は、今回5.4万人規模であり、東京や大阪よりも1万人以上多い。
この規模とはいえ、世界陸連も公認したコースで、関係部外者がレースコースに立ち入るなど普通はダメ。
しかし、普通に部外者が走ることができるのがパリ。ゼッケンなしに走っていてもなんら注意もされない。
初めてパリマラソンを走った時、35キロ付近から、クラブの1人が自転車で、もう1人がペースメーカーとして一緒に走ってくれた。事前の連絡はなかった。2人が頑張れ、頑張れと、ゴールまで声をかけ、走ってくれたことは、自身のベストタイム更新を大きく後押しした。
今回35キロ以降が勝負になると思い、事前に、元同じクラブで練習したり、レースに出たケニア人の一歳違いの友人(昔は10km29分台、ハーフ63分台レベルだった模様)に32キロ以降、3分40秒で自身を引っ張って欲しいと依頼していた。
彼は快く引き受けてくれた。
が、当日は、私の失速で彼のペースメークを活かし切ることができなかった。
一度3分55秒かかったときには、彼に発破をかけられて、3分45秒に戻した。
しかし、それをキープする余力がない、彼がまた声をかける、少しでも付きたい、の繰り返し。
それが5キロ程続いた。
37キロの坂の厳しい坂が始めるところで、更なる大変頼もしいサポーターが現れた。
事前にお願いもしてなかったクラブの仲間達3名が待っていた。
3名ともサブ2:30レベルのランナー達。ケニア人に加えて、3人も私に並走してくれ、声をかけくれる。
うち2人はずっと、そのままのゴールまでフォローしてくれた。
2人のうちの1人は、私の真横で給水ボトルを持ちながら必要ならば声をかけて欲しいと、もう1人は私の10メートルほど前をリードする形で、俺に付いてこい、という感じで。
ケニア人とクラブの2人の、自身よりもずっと強い3人が、私を自身を引っ張ってくれる、声をかけてくれる、水をくれる、と本当にありがたかった。
少しでもこれに応えたい、その一心だった。
気持ちとは裏腹に身体が動かないもどかしさ。
彼らがいなかったら、どうなっていたのだろうか。
日本から遠い地で、こんなにも暖かいサポートが受けられるなんて、幸せなことであった。
5 魅力的なパリマラソン
パリマラソンの厳しさばかりを書いてきたものの、5万人を超えるランナーを魅了する大会である。
記録という面では厳しくても、観光も兼ねてとならば魅力的なコースである。その一部を紹介する。
6 超番外編 かつてのチームメイトの五輪チャレンジ
過去に私のかつてのチームメイトManonが、パリ五輪のマラソン代表になれるかもしれないという記事を書いた。以下記事の最後参照。
2月のセビージャでフランスの女子記録が更新されて、彼女のランキングは4位。
五輪代表枠はわずか3枠。切符をつかむには、3位に入るしかない。ラストチャレンジは、4月14日のロッテルダム。
自身昨年走った高速コース。プレッシャーがかかる中での2回目のマラソン。
結果は、残念ながら、目標届かず途中棄権。
レース後、インスタグラムに以下の記載があった。仮訳。
マラソンはきらびやかではない、奇跡は存在しない。マラソンは真実であって、何も隠さない。マラソンは厳しさを語るものであって、涙を流した後、その美しさを味わった。
23歳、マラソンキャリア2回の彼女が見た、数ヶ月の厳しいトレーニング、プレッシャーの中でのマラソンはどういったものだったのだろう。
地元中の地元を走れる特別な五輪の機会を逃した。しかし、今回の経験を活かし、次回ロスに向けて、マラソンの厳しさ、そして美しさをより感じ、成長していく姿を見守りたい。本当にお疲れ様でした。
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