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AIの出現でライターの仕事はなくなるのか? について考えてみた。 

AIによってライターの仕事がなくなるのではと数年前から言われてきた。
私は根が脳天気なのもあって、正直あまり危機感を感じてこなかった。今も感じていない。私がスポーツという極めてフィジカルなものをテーマにしていることもあるだろうし、書くことに対する執着心が薄いのもあるだろう。

いや。危機感を感じていないというより、むしろ楽しみにしているきらいすらある。
前々からよく言っているのだけど、今ライターが直面している状況は、カメラが登場した時の画家に似ていると考えていて、つまり目の前の人や風景を正確に(というかクライアントに満足してもらえるようにちょっといい感じに)かくことから解き放たれて、本来かきたかったことに集中できるのはウエルカムじゃん!と思うからだ。カメラにできない表現領域を追求することから印象画が生まれてきたように、書くということにおいても新しい表現が生まれてくるんじゃないかと期待している。

カメラの発明によって多くの肖像画家が職を失ったかもしれなけれど、そもそも優れた画力を持っているにもかかわらず、彼らは本当にお金持ちの肖像画を描きたくて描いていたのだろうか、とも思う。
私のように"画力"がそこそこで、正確無比にかきたくてもかけないものは、最初から失うものが少ない。もしかしたら、スキルの高い人ほど危機感を抱いているのかもしれない。

以前、試しにAIにインタビュー原稿を書いてもらったのだけど、全然思うようなアウトプットが出てこなかった。「AIくんも、まだまだよなあ」と脳内お花畑に拍車をかけたところもある。
でもその話をあるベテランライターさんにしたところ、「それは指示の仕方が悪いだけ。私ならできる」と言い返された。そうなのか!ライティングスキルのある人は、AIを使いこなすスキルも高いのか…。それはそれで最強な気がする。藤井聡太さん的な。

やっぱ、脳天気すぎるかなあ。今日を機に、もうちょっと危機感を持つことにする。


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