反アジア人暴力の境界を監視する

原文掲載日:2021年4月29日
原文:https://roarmag.org/essays/anti-asian-racism-american-imperialism/
著者:マーク゠ツェン-パターマン

軍国的な国家「保護」が要求される中、反アジア人暴力の概念を拡大し、全体的で世界規模の帝国主義診断が至急必要である。

ここはニューヨークシティだ、ベトナムじゃない!

これは、ニューヨーク州クイーンズの高校生レ゠ミ゠ハンが、ある男に訴えていた言葉だと伝えられている。この男は彼女が住むクイーンズのマンションまで彼女を追いかけ、誰もいない部屋で彼女を縛り、ベトコンだと非難した。この男はルイス゠カハーン、30歳の元海軍兵でベトナム戦争の退役軍人だった。彼は後に、ニューヨークの暑さと瓦礫が前線で過ごした記憶を呼び覚ましたと主張した。

1977年のカハーンによるレの残忍なレイプ殺人は、「外国」の暴力と「自国」の暴力との間にある巧妙な空間的分離を崩壊させた。レは、1975年のサイゴン陥落から米軍のベトナム撤退の間に米国に再定住し、豊かな暮らしを米国から保証されていた。彼女はベトナムの大学教授の娘としてサイゴンに生まれ、ニューヨークのジャマイカ高校の優等生だった。レの再定住という明らかなサクセスストーリーは、米国による東南アジアでの戦争の正当性を象徴的に裏付け、米国社会に自由を見出せる証となっていた。

だが、殺人犯の目には、彼女はただの「グーク(東洋人)」だった。カハーンが外国で行うよう洗脳されてきたのと同じ無差別暴力政策の対象でしかなかった。米国家は、自国で増加する難民を「モデル゠マイノリティ」と描き、外国では「敵性戦闘員」として非人間的に扱ってきた。しかし、精神障害のある退役軍人が持つ剥き出しの人種憎悪に直面して、その洗練された足場は瓦解した。

陪審員のいない裁判で、カハーンの判決は、レの痛ましい殺害について「精神障害や精神異常のため責任はない」というものだった。レの殺害を、心的外傷を負った退役軍人の偏執性妄想のせいにすることで、刑事司法制度と主流メディアは、東南アジアでの米軍暴力を支配していた制度的非人間化政策についてもっと広い見方を保留したのだ。戦争と保護・敵と同盟・「グーク」と難民の間を行き来する公式的図式は、カハーンを例外として描かねばならなかった。キップリングの古い格言が永続的戦争と多文化主義の時代に更新された:ベトナムはベトナム、ニューヨークはニューヨーク、両者がまみえることは決してない。

アジアでの制度的軍事暴力と個別的人種「憎悪」を公式に区別することで、反アジア人暴力の根源の理解とそれへの挑戦は、米国内で依然として制約され続けている。パンデミック人種差別主義にかき立てられた一年以上続く人種差別主義の襲撃とハラスメントは、アトランタで6人の女性・インディアナポリスで4人のシーク教徒が標的となった殺人事件と相まって、反アジア人種差別主義の継続を新たに政治的に目立たせた。しかし、ハッシュタグ「#StopAsianHate」のような評判の良い枠組みは、反アジア人暴力の制度的で国際的な根源を覆い隠し、個人的偏見と闘うための米国内での公民権行使と「意識向上」という自由主義ヴィジョンに賛同している。

反アジア人「憎悪」の飼い慣らしは奇妙な矛盾を許している:米国で反アジア人暴力が比較的目に見えるようになると共に、アジアでの米軍の足跡がゆっくり拡大(オバマの「アジアへの旋回」戦略とトランプ時代の敵意に満ちた中国バッシングという超党派的遺産)しているのである。この二つの繋がりを主張することは、国家が国家自身を、人種差別主義を制度化する者としてではなく、反人種差別の執行者として任命していることに異議を唱えることになる。こうした繋がりを曖昧にしているのが、自由主義の反人種差別主義という支配的なレンズである。このレンズを利用して、徐々に、標的となったアジア人とアジア系米国人コミュニティを「保護する」抑圧的国家装置--地元の警察駐留から国際的軍事増強まで--の役割に慣れさせているのである。

米国が「インド太平洋」を第一の軍事戦域として標的にすると同時に、アジア系米国人コミュニティの防衛を約束する時代に、こうした監獄のような国家保護言説を拒否するために必要な結合組織として帝国批判が現れる。自治を、そして地域に根差した安全と連帯のヴィジョンを求める廃止論と反帝国主義の呼び掛けが増加している。私達は、反アジア人暴力の概念的境界を拡大し、軍国主義・帝国主義・人種差別主義を全般的に地球規模で診断しなければならない。

反アジア人暴力のもう一つのタイムライン

アジア系米国人の経験について記憶喪失と例外論が染み渡った米国文化の中で、反アジア人暴力のいわゆる「スパイク(グラフの急な山形)」が、この人種差別主義の根源を歴史的に扱う新たな試みに火をつけた。ドナルド゠トランプの「中国ウイルス」レトリックは、すぐさま、19世紀の中国人移民と疾病の関係と歴史的に比較された。無防備なアジア人被害者に対する街頭暴力の図式的映像が刺激したのは、1982年にデトロイトで2人の白人に棍棒で死ぬまで殴られたヴィンセント゠チンだった。この2人の白人は、自分達の生活が凋落したのは日本の自動車産業のせいだと考え、チンの東アジア系の顔をその代用品と見なした。歴史家はさらに、アジア系米国人に対する自警団と国家の暴力が以前にもあったとほのめかしていた。例えば、1885年のワイオミング州(訳註:原文ではコロラド州となっているが、誤りだと思われる)ロックスプリングスのような19世紀の中国人虐殺、国家による第二次世界大戦中の日本人と日系米国人の投獄である。

これまで幾度も踏みにじられてきた反アジア人暴力のタイムラインは、隠されているのと同じぐらい多くのことを明らかにしている。一般に、歴史的説明の中には、米軍がフィリピン独立を求めた800人以上の兵士を殺し、死体と共にポーズを取っていた1906年のモロ゠クレーター虐殺(第一次ブッダージョの戦い)のような事件はない。また、504人のベトナム民間人を米軍が殺害した1968年のソンミ村虐殺もない。2021年3月16日、アトランタで8人が殺された。その内6人はアジア人女性だった。これによって、アジア人女性と性労働者が直面した具体的暴力に対する詳しい全国調査が行われた。しかし、主流派メディアの説明の大部分は、草の根活動家と学者による重要な発言をはぐらかしていた。彼等はこの悲劇を世界規模の文脈に置き、沖縄・韓国・フィリピンなどの「キャンプ地」でアジア人女性が米軍職員による頻繁なジェンダー差別的人種暴力の対象となっていると指摘していたのだ。

パンデミックが始まった頃、アジア系米国人の進歩主義者達は、「赤・白・青(を身に付けること)」で反アジア人暴力と戦うというアンドリュー゠ヤンの呼び掛けに象徴される無神経な愛国主義を厳しく批判していた。ただ、批判者の多くは、反アジア人暴力の概念的境界にしがみつき、被害者の米国籍を優先に考えている。逆に、アジアでの帝国主義と軍国主義に反対する運動は、以前から、人種暴力、特に女性一般、とりわけ性労働者に対する人種暴力への批判に影響を受けている。1992年に韓国で尹今伊が、2014年にフィリピンでジェニファー゠ロードが、2016年に沖縄で島袋里奈が殺害され、非軍事化と自決を求めた新たな国内運動に火をつけた。だが、こうした悲劇も、米国がアジアに課している暴力について米国内でそれに対応する議論を引き起こさなかった。こうした沈黙は偶然ではない。国内の反人種差別主義運動を帝国に対する国際主義闘争と分断できるようにするための戦略なのだ。

しかし、ベトナム戦争の絶頂期に、アジア系米国人の反戦活動家は、まさに、「国内の」反アジア人種差別主義と海外の米帝国主義との結び付きを主張していた。ロサンジェルスで出版された急進的アジア系米国人の雑誌『ギドラ』でマイク゠ムラセが書いていたように、アジア系米国人が直面していた人種差別主義はベトナム戦争と本質的に結びついていた。1972年5月に全米各地で行われた反戦集会にアジア人代表団が必要だと書きながら、ムラセは次のように論じた。「軍による『グーク』の制度的非人間化は、米国にいるアジア人にも影響を与えている。アジア人を殺すよう訓練された人々が戻ってくるのは米国だからだ。」

アジア系米国人反戦活動家は、人種差別イデオロギーは国境を超越し、世界的な無数の白人至上主義暴力に対する共闘でアジア諸民族が団結すると見ていた。チャイナタウンのオーガナイザー、マイク゠エングはこの相互関係を捉え、ロサンジェルスのチャイナタウンでのLAPD(ロサンジェルス警察)のパトロールと外国の占領軍とを結びつけた。1971年夏にチャイナタウンの青年に対して警察が浴びせた身体的暴力と人種差別的虐待について『ギドラ』紙に報告する中で、エングは「ソンミ村メンタリティ」が「軍隊と共に自国に戻った」と見なした。

人種が出会う瞬間に、アジア人の肉体は、アジア人を破壊すべき正式な敵と描く帝国イデオロギーが転移した化身となった。1972年5月号の『ギドラ』に使われたアラン゠タケモトによるイラストは、人種と帝国主義の弁証法を挑発的な言葉で具体的に示している。アジア系米国人の兵士が、明らかにベトコンに見える女性と対峙し、自分の指揮官に次のように聞いた。「今何をすればいいでしょうか、ジョー?」司令官の答えは「あのグークをぶち殺せ、このグークが!」

「反人種差別主義」帝国に立ち向かう

反アジア人種差別主義に関する会話に米帝国主義は全くない。これはアントニー゠ブリンケン国務長官がアジアへの外交訪問中に、アトランタ虐殺を非難した時にはっきり示された。ソウルでの記者会見で、ブリンケンは、「米国にふさわしくないこの暴力に恐怖を感じた」と述べた。国防長官ロイド゠オースティンも「恐るべき犯罪」だと非難した。

この帝国主義的偽善は告発に値する。ブリンケンとオースティンのアジア訪問は、この地域に将来米軍を増強するための支援強化という明確な目的があった。オースティンのペンタゴンは、米国が現在その主要交戦圏と公表している地域で米軍基地・ミサイル配備・軍事演習を拡大すべく270億ドルの太平洋「抑止」計画を展開している。20世紀の朝鮮半島とベトナムでの戦争が世代の記憶に後退する中、ブリンケンとオースティンはこうした戦争が具体例として裏付けている永続的軍事化の基盤を受け継いで--拡大しようとして--いるのだ。

この冷戦軍事機構は「基地の帝国」へと膨張している。百万人の米軍職員の1/4は800以上の公式海外軍事基地に配置されている。ますます、この帝国主義ネットワークは中国を三角形に取り囲むようになっている。アフガニスタンとイラクで戦争が荒れ狂っていた時も、オバマの高官達は21世紀を「太平洋の世紀」だと定義していた。「成長する」中国に対峙するためにアジアに軍事的・経済的旋回軸が必要だとされていた。このオバマ時代のコンセンサスは、中国を「戦略的競争相手」とするトランプ政権の宣言・ペンタゴンの「第一の優先事項」・習近平と金正恩のような「悪党」を厳しく取り締まるというバイデンの敵意に満ちたキャンペーン公約によってさらに高まった。

評論家達は次のように指摘してきた。アトランタの銃撃者がアジア人女性を「誘惑」と表現した言葉は、それ自体が帝国主義言説の一部であり、アジア人女性の身体を米国の戦利品の一部として描いている。この文脈で考えれば、ブリンケンとオースティンによる反アジア人暴力の独善的非難は、地球規模の軍事機構の設計者としての彼等の役割と全く対照的である。この機構がアジアの米軍基地に固有の暴力を可能にしているのだ。韓国・フィリピン・沖縄などで、この暴力--多くの場合、性暴力--は、駐留米軍に関する共同地位協定によって沈黙させられている。米兵が犯している暴力を現地の裁判所が審理しないよう米兵を保護し、米国占領の被害者の司法妨害をしているのである。

ブリンケンとオースティンのような傀儡が、アジアで歴史的な軍事増強を進めながら、反アジア人暴力を安全に容易く非難する。とどのつまり、これは人種差別主義の一般的理解から帝国主義を徹底的に削除すると語っているのだ。アトランタ虐殺事件の後にブリンケンは「韓国人コミュニティ、そして、暴力と憎悪に対して団結している全ての人々と共に立ち上がろう」と主張したが、これもまた、米帝の野望を覆い隠すために以前から使ってきた自由・保護・抑止というレトリックの一例である。

ブリンケンの発言は、長年にわたる自由主義戦争パラダイムを引き継いでいる。つまり、米軍を、暴力の御用商人ではなく、暴力に対する正義の番人だと示しているのである。この意味で、帝国暴力の傀儡による暴力の非難は単なる偽善ではない。パラダイムなのだ。無数の介入と占領を破壊--主権・生態系・地域の暮らしの--としてではなく、生産--自由・自由主義的人間性・自由市場資本主義の--としてでっち上げる。これが米帝国主義の奇想である。防衛という自由主義言説を根拠に、第二次世界大戦後の血生臭い米国覇権秩序は、逆に、慈善的な「パックス゠アメリカーナ」を示した。歴史家モニカ゠キムはこのパラダイムシフトは朝鮮戦争に特徴的に表れていると述べている。「戦争は『人間性』の名で行われねばならなかった(中略)戦争それ自体を否定するものとして行われねばならなかった。」

このように軍事化された自由の概念が、アジアなどの地域で米国地政学を構築し続けている。トランプ政権もバイデン政権も「自由で開かれたインド太平洋」という概念を米国地域政策の戦略的基軸として掲げてきた。しかし、機密公開された2018年の戦略的枠組み文書は、政策立案者達が考えている「自由」の意味の概要を示している。米国の「インド太平洋」戦略の最優先事項は、「米国の経済的・外交的・軍事的アクセスを保持」し、「米国優位を維持」し、「米国のグローバルな経済的指導権を促進」することである。自由主義的介入の言説--中国と北朝鮮のような地域的ブギーマンから防衛しなければならないという前提の--が、米国地域覇権計画を援護し続けているのは明らかである。

ブリンケンはアトランタの悲劇の後に「韓国人コミュニティを支持する」と誓ったが、これは、韓国を北の隣人(好戦的でむやみに攻撃をしてくると仮定されている)から「防衛する」と米国が誓約している--和平と再統一を求めた越境運動と矛盾する--のとそっくりである。どちらの語り口も米国家を、人種暴力の最たる御用商人ではなく、「憎悪」(個別的偏見か「ならず者国家」のどちらかの形で米国の覇権秩序に挑戦している)を規制する仕事を引き受けた親切な番人として位置付けている。

反人種差別主義人種差別国家

当然、反アジア人暴力に対するブリンケンとロイドの非難は、米国本土の高官も同調している。バイデン大統領は歴史を無視してアジア系米国人に対する最近の襲撃を「非米国的」と述べた。ドナルド゠トランプでさえ、3月にアジア系米国人を擁護するツイートをせざるを得なかった。中国に対するタカ派的な地政学アジェンダのためにパンデミックを自分で政治化して憎悪暴力の高まりをかき立てておきながら、アジア系コミュニティを「完全に保護する」よう米国に求めていたのである。

政治指導者にこうした暴力を非難するよう圧力を掛けるのは道理に適っているが、こうした公的反人種差別主義の機能はもっと用意周到である。国家による反アジア人「憎悪」の空虚な否定は、個々の人種差別行為をその全般的帰結から切り離す働きをする。バイデン政権は東南アジア難民の本国送還を継続し、性産業を犯罪化し、アジアでの米軍の足跡を拡大しているのだ。

この意味で、人種差別主義自体の構造は徐々に人種差別の否定に基づくようになっており、自由主義の反人種差別主義は、自由主義の戦争の国内的補完物と見なせる。どちらの言説も、国家が増大させている暴力を監視するのは国家の責任だと再び銘記している。ここで米国の自称「世界の警察官」が役立つ。海外での米軍による占領が「防衛的」ポーズを取っているのは、人種暴力からアジア系米国人コミュニティを「保護する」ために新たに警察官を要求しているのとそっくりである。

こうした要求はすぐさま、警察拡大を進展させる口実を与える契機となった。例えば、ニューヨーク警察は、2020年8月に反アジア人憎悪犯罪特別部隊を設置したが、地元のアジア系米国人コミュニティ組織はひどく幻滅していた。ニューヨーク警察自体を、アジア系米国人のテナント・非登録移民・性労働者・高齢者を標的とした全体的暴力の源だと見なしていたからだ。先例に倣って、バイデン大統領は3月に、反アジア人暴力を扱うための大統領措置の一環としてFBIが「全国的な公民権訓練行事」を行うと発表した。こうした監獄のような動きは、アジア系米国人コミュニティの安全維持よりも、反人種差別主義を公的に仲裁する国家の懲戒的役割を具体化することに関わっている。

反アジア人暴力に取り組む「反人種差別」監視の推進は、ブルックリンセンターでダンテ゠ライトが、シカゴでアダム゠トレドが警官に殺害されたことで、さらにイデオロギー的に利用されるようになっている。アジア系米国人は、黒人・ラテン系・先住民族といったコミュニティを懲戒するために以前から「人種的ブルジョアジー」という立場で利用されてきた。警察廃止の要求が全国的に高まる中、同時期に反アジア人憎悪犯罪特別部隊が展開することで、アジア系米国人を巧みに利用して公的機関としての警察の道義的正当性を強化しているのではないかという不快な見通しを創り出している。この分割統治構想では、脆弱なアジア系コミュニティの「保護」に取り組む警察の道義的善良さは、有色の労働者階級コミュニティに警察が押し付けた全体的暴力の象徴的否定として示されるのであろう。

ここで再び、廃止論的批判と反帝国主義的批判の結合が、国家による保護と改革の計略の本質を見る手助けになる。米国の様々な都市にいる武装した警官隊のイメージは大抵「戦争が自国に来た」という批判を喚起するが、逆に、警察と軍隊は、国内規模でも地球規模でも人種差別資本主義を維持するために必要な諸条件を実行するよう作られた抑圧装置の結合兵器と見なせる。このようにオリエンタリズムと反黒人性が重なり合う相互構成的回路が、人種差別資本主義を形成している。この回路を解体するには、憎悪や偏見と闘う際の個別化されアイデンティティにとらわれたヴィジョンを超える言語とレンズが必要である。

「所属」を越えて

オハイオ州の政治家リー゠ウォンは、先月(3月)地元の会議で感情的なやり取りをする中でアジア系米国人に対する人種差別主義を取り上げた。「私の愛国心を疑問視する人達がいます。私が米国人らしく見えないからです」とウォンは抗議した。米軍従軍中に受けた胸の大きな傷跡を見せながら、ウォンは強く抗議した。「これが証拠です。これでも愛国者とは言えないのでしょうか?」

このやり取りの映像は急速に広まり、ユーチューブとツイッターで数千万ビューを集め、視聴者はウォンの愛国心と軍務を称賛した。しかし、米国人らしさが人種暴力を避けるための前提条件だという--米国人らしさを最も良く証明しているのが戦争だということは言うまでもなく--論理は問題である。

アジア系米国人に所属しているというこのような主張は厄介である。自由主義戦争の戦術として多文化主義が歴史的に使われているからだ。「軍事的多文化主義」というジャンルは、以前から米国の軍国主義を、人種差別主義戦争の扇動者ではなく、人種的進歩の坩堝として示してきた。例えば、朝鮮戦争での米軍部隊の人種差別廃止は、黒人-白人の国家的結束という観点から大量虐殺介入を覆い隠した。第二次世界大戦の日系米国人部隊は勲章を授与されたが、それは12万人の日本人と日系米国人の投獄に対する罪滅ぼしの物語だった。

この悪質な多文化主義は、人種差別国家の武器として選択的に組み込まれ得る。そのことで、公式的反人種差別主義の時代に人種差別制度の維持に正当性を与える。このパラダイムの下で、人種差別国家の構造を確立しているのは、恐怖症の排斥ではなく、親和性の容認かもしれない。ベトナム戦争の指揮官ウィリアム゠ウェストモーランドによる「東洋人の命は軽い」という冷淡な宣言が帝国人種差別主義のレジスター(言語使用域)を示しているとすれば、スンドゥブチゲに対するアントニー゠ブリンケンの最近の頌歌は帝国主義のディスコース(言説)を示している。現在、この言説は、明白な非人間化ではなく、非政治化された「違い」の多文化的容認で定義される。地球規模の軍事帝国の装置とそれが扱う暴力は変わっていない。変わったのは、それを可能にする物語だけである。

自由主義の反人種差別主義の策略は、米国覇権を正当化する言説があらゆる面で危機に瀕している時に、新たな緊急性を帯びる。最悪のパンデミック対応から「丘の上の町」の1月6日包囲、現在も続く黒人による廃止論暴動--世界の良心としての米国指導部の常識は徐々に疑問視されている。この文脈で、人種差別支配を正当化する言説としての公式的反人種差別主義は、こうした危機の矛盾を、遅々とした慈善的改革という進歩的概念に組み込む兆候を見せている。人種差別自由主義から政治要素を抜き取った様々な象徴的行為がこの正当化作業を行っている。「ブラック゠ライヴズ゠マター」の横断幕がソウルの米国大使館から垂れ下がり、ワシントンDCの街路に描かれている。黒人の国防長官は、進歩的人物として賛美されている--兵器産業との深い繋がりなどどうでもいいわけだ。例外的な暴力行為は「非米国的」だと非難される--それを可能にしている人種差別主義諸機構は問質されないままだ。

反アジア人暴力が新たに目に見えるようになった。これは、所属・国籍・階級・同族関係という尺度を超えて人種暴力の諸概念を拡大する重大な誘因である。逆に、アジアの軍事的「抑止力」や地元警察の「保護」という言説は、国家による軍国的執行を、人種暴力の主要構成体ではなく、人種暴力の審判者として正当化する言説を支持し、全体的暴力の徹底的批判を飼いならそうとしている。米国軍事力の主要舞台として「インド太平洋」が標的にされ、人種差別されたコミュニティへの国家介入を使命として「アジア人憎悪の阻止」が展開されている時代に、帝国主義をこの枠組みに復帰させることが、逆に、人種暴力の根源にある人種差別主義・帝国主義・資本主義の不可分な世界的回路を顕在化するのである。

マーク゠ツェン-パターマンは、ライターで博士課程の学生である。大学院での研究の焦点は、冷戦中の米国地政学・メディアの基礎構造・アジア系米国人の社会運動である。人種・帝国・アジア系米国人に関する彼の記事は、The Atlantic、Boston Review、Truthout に掲載されている。