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メーデーの歴史

原文:https://www.anarchistcommunism.org/2024/05/01/the-history-of-may-day/
原文掲載日:2024年5月1日
著者:無政府共産主義グループ

5月1日は勤労者の生活と闘争における新たな時代の象徴である。この時代、勤労者は毎年、ブルジョア階級に対して新しく一層厳しい断固たる戦いを行う。自分達からもぎ取られた自由と主体性のために、自分達の社会理想のために。

ネストル゠マフノ

5月1日を労働者が行動する日にするという考えが初めて提案されたのは、アメリカ労働総同盟(AFL)の第4回大会だった。労働時間を週40時間に制限することに焦点を当てた広範な扇動・闘争キャンペーンを1886年5月1日から始めると決議されたのである。最も急進的な行動はシカゴで行われた。当時、シカゴでは、アナキストが強い存在感を持ち、米国で最も労働運動が発展していた。

1886年5月1日以降もストライキは続き、雇用主との戦いはさらに厳しさを増していた。5月4日、約15000人が集まった集会が警察に攻撃された。この日の終わりまでに、双方とも多数の死傷者を出した。抗議行動を封じ込める絶好の機会となった。主要オルガナイザーの内8人が逮捕され、死刑判決を受けた。全員アナキストだった。その内3人は終身刑に変更された。

1887年11月11日、アルバート゠パーソンズ・アドルフ゠フィッシャー・ジョージ゠エンゲル・アウグスト゠スパイスが絞首刑に処せられた。彼等の同志ルイス゠リングは処刑を避けるべく前日に自殺した。数年後、彼等は全ての容疑について無罪となり、裁判所は、警察と司法システムが労働運動を犯罪化し、崩壊するために事件を仕組んだと認定した。被告の8人に無罪が宣告され、3人の生存者は釈放された。

5月1日は間違いなく、アナキストの血で染まった労働者の歴史の1ページである。

国家・警察・資本

5月1日は資本主義との戦いが今も続いていると思い起こさせる日だ。現在の欧州で、ストライキと社会闘争は酷く信用されていない。しかし、金持ちと貧者の格差は拡大し続け、金融市場は元に戻り、トレーダーは依然として何十億ドルも操作している。世界の富の半分を人口の1%が所有している時に、私達が今以上のものを求めるのは間違っているのだろうか?一方、労働者はますます努力するよう求められている。一群の新税(例えば、寝室税)や公共サービスの削減を使って、経済を「救う」ため、国家を立て直すためだ。私達は新自由主義的資本主義体制に向かっている。そこでの国家の主要目的は、資本主義が制限なく発展できるよう社会統制を維持することなのである。

労働者は全てを生産しているのに、ほとんど所有していない。この分析は古くからよく知られているにもかかわらず、欧州の労働者は公正な再分配を求める戦いを徐々に放棄し、その代わり、他の人にトラブルが降りかかるよう望んでいる。さらに、労働は神聖化され、生産し服従する善良な労働者になりたくなければ、怠け者か寄生者か夢想家になる(自分がどれか選べ!)という考えが広がっている。

コロナウイルスは、多くの仕事の無意味さを浮き彫りにし、他の仕事の重要性を強調した。

無政府共産主義者として私達は、資本主義にもたらす剰余価値で人間を定義してはならないと考える。労働は、必要に迫られて生産する方法でなければならず、新たなニーズを創り出す方法であってはならない。労働は、誰もがより少なく働けるよう、収益性以外の目的のために働けるよう組織化されねばならない。資本主義社会は完全雇用を達成できない。何故なら、一定数の失業者を必要とするからだ。働く必要があるから、劣悪な労働条件を受け入れられるようになる。労働を再組織化するためには、階級と指導者から自由で、自主組織型で管理される社会が必要だ。無政府共産主義グループはそのために闘っているのである。

最初のメーデー゠デモから一世紀以上経った。今、私達は通りをゆっくり歩き、結局は組合官僚の退屈な演説を聞く羽目になる。思い出さねばならない。メーデーはかつて世界中の労働者がその集団的力を誇示した日だった。だが、私達は再びそれを行える。私達を自由で公正で平等な社会--生産が、少数の特権的エリートに莫大な利益をもたらすためではなく、ニーズを満たすためのものとなる社会--へ導いてくれる革命的政治が私達には必要なのだ。

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