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エルサ゠モランテ著『シチリア人の兵隊』

原文:https://thetransmetropolitanreview.wordpress.com/2024/08/23/the-sicilian-soldier-by-elsa-morante/
原文掲載日:2024年8月23日

短編『シチリア人の兵隊』(英訳)はこちら
『アンダルシアの肩かけ』(邦訳)はこちら(品切・重版未定)

イントロダクション

エルサ゠モランテはアナキストだった。しかし、様々な理由から、この単純な事実を米国文学界は常に隠蔽している。例えば、2023年のニューヨーク゠レヴュー゠オブ゠ブックス(NYRB)はエルサ゠モランテの処女作『嘘と魔法』(邦訳)の新しい英訳を出版し、米国の読者はようやく1948年の全文を読めるようになった。総頁数775頁に及ぶジェニー゠マクフィーの記念碑的翻訳は、メインストリームの文芸評論家から数多くの好意的評価を得ている。当然ながら、こうした批評家はフランチェスコ゠デ゠サルヴィのアナキズムを中和し、消し去ろうと最善を尽くす。彼がこの本の語り手エリーザの父親であることを考えれば、彼は『嘘と魔法』の主要登場人物である。

語り手である未来の後見人にアナキズムについて数頁にわたって話しているにも関わらず、フランチェスコをウォールストリート゠ジャーナル(WSJ)は単なる「一人の貧しい学生」として描いた。同様に、ニューヨーク゠タイムズ(NYT)はフランチェスコを「学校を辞めて公務員になった大学生」と呼んだ。それに負けまいとワシントン゠ポストはフランチェスコを「裕福な地主の息子を装った貧しい学生」と表現した。ワシントン゠ポストが学生という言葉をアナキストに置き換えていたなら、エルサ゠モランテがこの小説の中に意図的に配置した中心的緊張の表現に近づけただろう。つまり、アナキストになりたいという願望と、階級社会の一員でありたいという願望との緊張関係である。

公平を期せば、ワシントン゠ポストは、「『嘘と魔法』の中心に穏やかな社会意識がある」と説明している点でWSJよりも確信に近い。「この社会意識を体現しているのがフランチェスコだ。彼は社会改革を夢見て、『ワインとユートピア』の二つだけに深く心を動かされる。」しかし、ここでもまた、ワシントン゠ポストは「社会意識と社会改革」というフレーズを「アナキズム」に置き換えられたはずだが、これらの書評には明らかに何らかのイデオロギーが働いている。WSJとNYTのような資本主義アウトレットなら予想できるだろうが、最も衝撃的な要約をしたのはNYRB自身だった。

その評者は次のように説明する。「モランテが『嘘と魔法』で明らかに最も厳しく断罪しているはエリーザの父フランチェスコであり、彼は恐らく最も悲痛な人物でもある。モランテは、四面楚歌の自尊心を支えようと躍起になっている様子を容赦なく風刺する。例えば、バーで退屈している酔っ払いに対して雄弁にマルクス主義的批判を浴びせる。」フランチェスコは明らかにアナキストの演説をしているにもかかわらず、この評者は彼をマルクス主義者だと主張し、次いで男爵(漠然とした肩書だが、それでも肩書である)だと示すことは、彼自身の社会正義原則に反すると述べた。まるでこうした人々はアナキズムという言葉を恐れ、その存在を消し去るために膨大な文学的歪曲を行うかのようだ。

はっきりさせておくが、2023年版『嘘と魔法』の250頁で、この「貧しい学生」はロザーリアという名の娼婦と付き合っており、「自分が偏愛する予言者の格言を好んで引用した。たとえば、『所有とは盗みである』。そして声を高ぶらせて、予言の言葉を繰り返す。その予言によれば、『かつて合法だった奴隷の所有が今日、われわれには不条理に見えるのと同じように、一片の土地の所有が残虐で不条理に見える日がくるだろう』。」(北代美和子訳、嘘と魔法[上]、河出書房新社、2018年、270頁)よく知られているように、「所有とは盗みである」ピエール-ジョセフ゠プルードンのアナキズムのスローガンであり、二つ目の引用はフランチェスコによる1頁にわたる無政府共産主義的熱弁の冒頭部分である。

エルサ゠モランテが『嘘と魔法』を書いたのはイタリアのファシスト独裁政権時代であり、弾圧を恐れてか、アナキズムという言葉そのものは本文中に登場しない。しかし、それは明記されているのも同然である。例えば、フランチェスコが「たしかに未来の理想社会では、婚姻は撤廃される。自由な恋人たちふたりを結びつけるのには、感情と意志の相互協定があれば充分で、契約と聖別の必要はない」(前掲邦訳書、278頁)と確認した時がそうだ。彼はロザーリアと彼女の職業である娼婦について、彼女に「きみはブルジョワ社会の犠牲者なのであり、ブルジョワ社会は怪物のように、きみみたいな人たちを餌にした後、ごみ溜めに捨てるのだと説明する。」(前掲邦訳書、283頁)1930年代、エルサ゠モランテ自身もローマで娼婦をしていた。その彼女が、ロザーリアがフランチェスコのアナキズム信条に恋する様子を描いているのである。

しかし、エルサ゠モランテははっきり述べる。「フランチェスコは村ではいちばん豊かなひとりと見なされていた自分が、街ではいちばん貧しいことに気づいていた。そして選択をすべき時がきた。その富の力でフランチェスコを辱める権力に仕えるか、自分と同等の者たちを権力者から守ることによって反抗をするか。私たちが初めてフランチェスコと出会ったときすでに見たとおり、その選択は次のようなものだった。フランチェスコは書物のなかで、そのさまざまな対立を大いに鎮める科学と信念を発見し、この魅力的な真実、偽りの王国の破壊者に恋をした。だが同時に、自分自身に嘘を着せかけ、偽りの王国を建設した。そして革命に対する信念と同時に、偽りの男爵の称号が生まれた。」(前掲邦訳書、427頁)非常に明快に、彼のアナキズムは偽りの王国(レアミ゠ファルシ)の破壊を意図していると述べているが、エルサが指摘しているように、こうした「レアミ゠ファルシ」はフランチェスコの心の中に存在しているのだ。このテーマをエルサはその後何年も探求することになる。

1943年のナポリ

彼女が『嘘と魔法』を書き上げたのは第二次世界大戦末期、ナチスがイタリアに侵攻した時だった。彼女はローマに原稿を隠し、その間にパートナーとナポリ近郊に身を隠した。彼が見つかれば、ナチスの死の収容所に強制送還されるからだ。隠れている間、エルサは原稿を確認しに一人でローマに行った。その旅の途中で納屋に隠れていた彼女は、同じようにその夜に身を隠さねばならなかった反ファシストのパルチザンに出会った。この兵士は、エルサに反ファシズムへの英雄的献身物語を語るのではなく、自分の中に宿る「レアミ゠ファルシ」について語った。

エルサはすぐにこの全てを『Il Soldato Siciliano(シチリア人の兵隊)』というシンプルな題名の物語にした。英語版をここに転載する。エルサによれば、この物語は「戦争直後に雑誌『レウロペオ』(そのあと『レスプレッソ』)に掲載されたが、戦争をテーマにした三編のうちの一編である。残りの二編は失われた。」(北代美和子訳、アンダルシアの肩かけ、河出書房新社、2009年、238頁)残念ながら他のテキストは失われたため、『シチリア人の兵隊』はエルサ゠モランテが戦時中に書いた最後の物語である。この物語は後に、1963年の作品集『Lo Scialle Andaluso(アンダルシアの肩かけ)』で発表され、最近英訳が出版された。地元の書店で手に入れられるだろう。(訳注:日本語訳は絶版なので、古書店か図書館で見つけられるでしょう)

こうした「レアミ゠ファルシ」の暗い時代に、エルサ゠モランテの『シチリア人の兵隊』は容赦なく思い出させる。一つの偽りの王国と戦っても、自分達の中にある偽りの王国は消せない。両方を打倒しない限り、私達はエルサの言う「1万年続くスキャンダル」から抜け出せないままとなろう。


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