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インドネシアの抗議行動の波に乗るアナキスト達(後編)
原文:https://ja.crimethinc.com/2024/09/23/anarchists-on-the-wave-of-protest-in-indonesia
原文掲載日:2024年9月23日
(訳註:原文が長いため、前編と後編に分けました。前編はこちら。)
インドネシアと世界各地のアナキストの結び付きを深めたいと思うなら、インドネシアのアナキストによる著作を英語に翻訳する取り組み「Page Against the Machine」を支援していただきたい。
この運動は国内各地でどのような違いがありますか?
M:インドネシアは広大な群島国で、地元の習慣と問題に応じた独特の抵抗文化を持つ地域があります。ジャワ島は、金融・ビジネス・情報・テクノロジー・権力の中心地で、社会的・経済的・教育的に大きな格差があります。各地域の抵抗運動は大抵、地元の問題を浮き彫りにしています。
例えば、カリマンタン島は、大規模な採鉱とパーム油の拡大、先住民コミュニティの強制退去によって深刻な生態学的脅威に直面しています。物議を醸している国家首都(IKN)プロジェクトは、首都をジャカルタから東カリマンタンのペナジャム゠パセル゠ウタラに移転することが目的ですが、256142ヘクタールの自然林と68189ヘクタールの海を荒廃させるでしょう。国家開発計画庁(バッペナス)によれば、IKNプロジェクトの予算は466.9兆ルピアで、国と外国の投資家が資金を提供するとされています。また、IKNプロジェクトには高官達も関わっており、多額の投資を行っています。例えば、国防相のプラボウォ゠スビアントや、インドネシアの海事・投資担当調整相ルフート゠ビンサール゠パンジャイタンです(彼は以前スハルト時代に高級将官でした)。
警察による弾圧のレベルは地域ごとに異なります。警察権力は大抵、東部地域での活動を厳しく取り締まっています。
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街頭にはどのような社会層の人達がいますか?組織労働者・パンクス・サッカーのウルトラス・西パプア独立運動家など、これまで警察に標的にされてきた人達はこの抗議行動に参加していますか?
M:サッカーのウルトラスは独自の怨恨を持っています。これは、「カンジュルハンの悲劇」のためです。この悲劇的事件は2022年10月1日にインドネシアのマラン県にあるカンジュルハン゠スタジアムで起きました。アレマFCとペルセバヤ゠スラバヤの試合が終わった後、暴動が発生しました。警察が群衆を解散させようと催涙ガスを使ったために、数千人のサポーターが出口に殺到する大混乱になったのです。その結果、圧死と窒息で135人以上が死亡し、さらに多くの人達が負傷しました。この事件はまた、群衆規制とスタジアムの安全性に関する諸問題も浮き彫りにしました。
犠牲者の父母はサッカー協会と共にこの悲劇を非難し、被害者のための裁きを求めました。裁判が行われ、3人の下級警官と2人の試合主催者が有罪判決を受けたのですが、それぞれの刑期は最高でもたった2年半だったのです。判決で裁判官は、催涙ガスが数百人に影響を与えたのは風向きがスタンドに向かっていたからだと述べました。カンジュルハン事件は、1964年にペルーのリマで300人以上の命を奪った「エスタディオ゠ナシオナルの悲劇」に次ぐ史上2番目に深刻なサッカー災害だと認識されています。今日に至るまで、遺族は説明責任・正義・透明性を求め続けています。
一方で、パプアの人々は政府から「武装犯罪集団」という否定的な濡れ衣を着せられているにもかかわらず、独立のために戦い続けています。「武装犯罪集団」という用語は、ジョコウィ大統領在任中にプラボウォ国防大臣が秘密裏に支援をして強化され、パプア独立運動を中傷するために使われているのです。残念ながら、大企業メディアは頻繁にこのレッテルを使っています。
あなたが挙げた全てのグループは、ジョコウィ政権の政策の直接的被害者です。当然ですが、彼等はこの契機を利用して影響を受けた他のコミュニティと団結し、怒りを表明しています。
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フランス゠アリ゠プラセティヨ:インドネシアは1998年の改革以降、民間機関の急速な成長・中産階級の拡大・活気ある文化と大都会型ライフスタイルの台頭など、大きな変化を遂げてきました。しかし、こうした変化は、民意に対するメディアの影響・ポピュリスト運動の台頭・発展を装って権威主義へ回帰しようという企てへの懸念も生じています。政治色の強いレフォルマシ時代に、アナキストは独裁政権に対して抗議しました。この反応は驚くべきものではありませんでした。インドネシアのアナキストは歴史的に労働者階級や階級闘争と連携してきたからです。しかし、1998年の改革以後の政治的左翼の衰退はアナキズムの衰退にも繋がりました。
にもかかわらず、アナキスト達は現在進行中の抗議行動で活動し続けています。アナキズムとブラックブロックはバンドンの若者の抗議行動参加者にとって重要な文化的アイデンティティになっています。音楽サブカルチャー・サッカーのフーリガン行為・西パプアにおける反植民地抵抗などに関わっている若者達は、特にブラックブロックを通じて、頻繁にアナキズムに関わっています。労働団体も、特に自分達の利益に直接影響する「オムニバス法」への反対運動で関わっています。与党が主要連立体制を通じて労働組合に影響力を持ち、組織労働者を含む市民社会グループ内に広く政治的恩顧主義構造を維持していることを考えれば、この関わりは注目に値します。
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この運動は、スリランカ・ミャンマー・バングラディシュなど世界各地で最近起きている叛乱とどの程度まで対話したり、影響を受けたりしているのでしょうか?
M:私にはこの質問に答える力がありません。ただ、私達は香港の運動にかなり刺激されていて、彼等の戦略の幾つかを取り入れています。
フランス゠アリ゠プラセティヨ:スリランカ・ミャンマー・バングラディシュ・コロンビア、そしてアフリカとラテンアメリカの多くの国々は統治上の大きな課題を抱えています。こうした課題には、一人当たりのGDPの低さ・武力紛争の頻発・政治的安定性の低さが含まれている場合が多いものです。こうした国々は何十年も国内紛争と劣悪な統治のサイクルに陥っていて、社会のあらゆるレベルで不安定な状態が続く見込みが高いでしょう。その結果生じかねない混乱を例証しているのが、こうした国々の一部で現在起きている叛乱です。
社会が強力で生産的な国内経済なしに強固な国家機構を発展させると、国民の大部分が、国家の能力こそ発展の鍵だという独裁的言説の影響を受けやすくなるのでしょう。過去十年間で、インドネシアは民主主義と独裁制の間を行き来しながら複雑な情況の舵取りをしてきました。
インドネシアは、中長期的により高い生活の質を実現するためには民主主義が不可欠だとする「民主主義充足テーゼ」の失敗を象徴しているのかもしれません。これは1998年改革以後のインドネシアに当てはまるように思います。この時期、権威主義・軍国主義支配の32年間から出現し、民主主義への移行を祝していました。しかし、自国の民主主義水準・国家能力に見合った生活の質を提供する上で、依然として課題に直面しています。インドネシアは、スリランカ・ミャンマー・バングラディシュ、そしてアフリカとラテンアメリカの国々に比べて恵まれていますが、ジョコウィ政権が過去十年間でうかつにも軍国主義的権威主義へ後戻りしたのではないかという懸念があります。
西洋型民主主義は必然ではありません。歴史には予め決められた目標や目的がないからです。それどころか、歴史は人間の主体性・イデオロギー闘争・政治闘争によって形成されます。未来は常に書き残されたままなのです。
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インドネシアにおけるアナキズム活動の歴史を理解するための資料を幾つか紹介してもらえますか?また、インドネシアのアナキスト組織を支援できる具体的な方法を教えてもらえますか?
M:今、ジョコウィ政権下の寡頭政治と縁故主義の遺産、そして警察の蛮行を浮き彫りにするために国際的支援が明らかに必要です。皆さんも是非、インドネシアの警察と軍が行っている残虐行為を非難して下さい。
さらに、デモや土地占拠の最中に警察・右翼ナショナリスト・保守的大衆宗教組織と衝突した複数の事件を振り返れば、私達はデモ中の戦術にもっと取り組まねばならないと感じています。今後は、防具装備の充実を図り、防衛と攻撃の実践的戦術だけでなく安全性に関する知識も深める「訓練」を行おうと計画しています。また、街頭での救急医療隊員を維持する支援も必要です。
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フランス゠アリ゠プラセティヨ:アナキスト的グループはインドネシア全土にあります。明確にアナキストと表明しているグループもあれば、そうでないグループもあります。レッテルが何であれ、彼等の行動はアナキズム諸原則に強く合致しています。私達が似たようなイデオロギー的結び付きと多様な戦術的・実践的アプローチを共有する限り、誰もがイデオロギー的にアナキストだと自認していなくても、協力するのが合理的でしょう。
アナキズムは、若者の積極的行動主義の複雑さを理解する枠組みを示しています。システム化された経済的不平等・資源分配・公共財へのアクセス・労働システム・国家弾圧・警察と軍の行為という相互に関連する課題を検討するためのレンズを提供してくれます。警察と軍に対する怒りが今も続いているため、数多くの対立と暴動に発展しているのです。
課題は様々あるものの、アナキズム運動は、攻撃的な新自由主義と復活した権威主義のために分断と衰退が顕著な時期に反資本主義闘争を再形成する上で重要な役割を果たしてきました。
より強力な運動と社会の構築に役立つのは協力です。新型コロナウイルス危機はバンドンに新しい積極的行動主義パターンを確立しました。市民社会はリゾーム的に機能するネットワークを形成することで適応し、それが生存と回復力を可能にしてきたのです。私はこのパターンの影響を観察し、直接体験してきました。新型コロナウイルスのパンデミックが起きた最初の段階以来、このアプローチは、特に若者の運動内で、有効で柔軟でダイナミックだと証明されています。
バンドンで、私達は、ヒエラルキー無しの協力を示すのに「リンタス゠トンクロンガン(横断的なたむろ)」という言葉を使っています。他の場所でもそうですが、多くの若者達が、かなりの時間を一緒に過ごしたり、ノングロン(ブラブラ)したりしています。これが、アナキストの活動を含む市民活動のエネルギーと情熱の貴重な源泉になり得るのです。
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勝利とはどのような意味でしょうか?
M:私達は「勝利」を求めてはいません。私達が本当に求めているのは、より多くの人達が国家・資本主義・その手先の害悪を自覚することです。私達は自律的に組織を作り続け、直接行動を使って不公正と戦い、コンクリートでも止められない野草のように根を下ろしたいと思っています。
フランス゠アリ゠プラセティヨ:勝利を闘争の究極目標と見なしているのなら、私達は間違った角度から問題にアプローチしているのかもしれません。私達が関わっている闘争には明確な決着などないかもしれません。もし勝利を収めたとしても、次に何が起こるか検討しなければならなくなるでしょう。「偽りの勝利」の危険があり、その場合、私達が闘っていたもの・打倒したものを反映した新しい何かになり果ててしまうのです。
この勝利を慈善活動主義だとみなせば、それは本物の変革ではなく立場の変化に繋がりかねません。敗北した人々全員が消え失せるわけではありません。一部の人々が自分達の方法を順応させて進歩的に見せ、将来的に慈善を新手の階級構造の兆候に変質させ、意図せずとも現状を永続させてしまうかもしれません。
インドネシアでは、1998年のレフォルマシの勝利で32年間続いた軍国主義・権威主義の新秩序体制が終わり、民主的政府が樹立しました。国家は、説得力ある民主的説明責任を実行していたなら、生活の質を一貫して確実に向上させるために多くのことを行えたのでしょうか?それとも、単に選挙法の阻止だけが勝利だったのでしょうか?
私達が相手にしているのは、政府・寡頭政治・略奪的なビジネスと党のエリートです。これらは民衆に属する全てを横領しています。したがって、私達は全力で戦わねばなりません。現在の社会秩序であるポスト改革は、新秩序に対する勝利の上に築かれました。民政移管を管理しているのは、独裁政権の一員だった(そしてその政策を特徴づけていた)人々なのです。
ジョコウィ大統領による過去十年間(2014年~2024年)、インドネシアは「ネオ‐オルバ」として知られる権威主義で軍国主義の国家に逆戻りしました。ジョコウィは当初、庶民を守るポピュリスト大統領として描かれていました。スハルトの新秩序を打倒した多くの元改革活動家が、今やジョコウィのネオ‐オルバ体制を支持しています。ジョコウィの任期は2024年に終わりますが、こうした活動家の多くが、かつて自分達を誘拐し、大統領選でジョコウィに2度敗北した新秩序時代の軍司令官に支持を切り替えるでしょう。この司令官はインドネシアの次期大統領になり、ジョコウィの息子が副大統領になるのです。この権力と富の連続性が、より大きな平等の希求を嘲笑い、不平等と排除のサイクルを永続させるのです。
何故、大勝利の後にさらに大きなデモが続くのでしょうか?そうした勝利は、より極端な形の新しい不平等を正当化するだけだからでしょうか?これは1998年のデモのトラウマを反映しており、その結果は今もなお続いています。抗議行動が重要で、勝利はオマケです。しかし、重要なのは、国家・資本主義・新自由主義が複合的に覇権を握る中で、日常生活で政治意識を構築することです。最初は小さくとも、草の根の代案を創造しなければなりません。そして、人々が日々必要な自由と正義を持てるようにすべく多くの地域に広げていかねばなりません。自発的な抗議行動に参加するだけが政治の構築ではありません。それは、現実の日常的な諸問題に取り組み、単に支援の受け手に権能を与えるだけでなく、運動のための政治的機関を発展させるという意味です。
市民的不服従は、平等を達成し、勝利を示すための強力なツールになり得ます。労働者階級・若者・様々な市民グループは自己決定権を持っています。私達は単なる貧困の再分配や旧植民地時代の・資本主義の・新自由主義の法律への回帰を求めてはいません。その代わり、市民的不服従を使い、教育・アドボカシー・直接行動・連帯を通じて市民的・政治的権力を構築します。不服従の行為は、私達が抑圧的法律・息苦しい資本主義・横行する新自由主義抵抗の中を何とか進んでいる時であっても、抵抗と代案は可能だと証明しています。
火事が始まったら、誰が火を消せるのでしょうか?この政権は最初から火遊びをしてきました。彼等は好きなだけ抗議者を非難できますが、火を非難できないのです。私は、皆に怒り続けていてほしいですし、国家をもう一度パニックに陥れたいのです。次の抗議行動で、その次の抗議行動で、そのまた次の抗議行動でお会いしましょう。抵抗万歳、連帯万歳!
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付録:インドネシア各地のデモ
Mの厚意により、8月22日~27日にインドネシアの主要な島々で行われたデモの概要を以下に示す。
ジャワ島
ジャカルタ:数千人のデモ隊がインドネシア下院議会(DPR RI)前に参集し、3200人の治安要員が配備された。憲法裁判所の前でも同様のデモが行われた。時を同じくして、828回目のカミサン゠アクション(原註1)が大統領官邸前で行われ、大群衆が集まった。抗議者達は君主制に対する抵抗の象徴としてギロチンのレプリカを持っていた。
午後、インドネシア西部時間14時20分、抗議者達はDPR RI庁舎の右ゲートを破壊した。デモ参加者達が投げた瓶がDPRメンバーのハビブロクマンに当たった。抗議行動は夕方まで続き、警察は殴打・催涙ガス・放水銃を使って群衆を解散させようとした。警察の襲撃を取材しようとしたジャーナリスト達が暴行を受け、強制的に映像を削除させられた。
バンドン:抗議者達は西ジャワ州下院議会(DPRD)庁舎周辺のフェンスを破壊し、衝突が起きた。諜報員が1人のジャーナリストを襲撃し、警察の投石で1人の学生が片目を失った。
タシクマラヤ:抗議行動で、タシクマラヤDPRD庁舎にある複数の施設が燃やされた。
ボゴール:抗議行動がトゥグ゠クジャンで行われた。
チルボン:チルボンDPRD庁舎前で行われたデモで1人の学生と1人の警官が負傷した。
ジョグジャカルタ:数千人が集まり、アブ゠バカル゠アリ駐車場から行進を始め、ゼロキロポイントを通ってジョグジャカルタ特別州DPRD庁舎前で終了した。
スマラン:中部ジャワ州DPRD庁舎前の抗議行動は、抗議者が押し入った段階で暴力的なものに転じ、フェンスが倒壊しそうになった。警察は催涙ガスを使って群衆を解散させようとし、26人が負傷した。18人は病院での治療が必要だった。抗議行動は2024年8月26日まで継続し、スマラン市庁舎周辺のフェンスが破損した。
スラバヤ:トゥグ゠パラワン前でデモが行われた。
ソロ:市役所前で抗議行動が行われた。
マラン:数千人がブンダラン゠トゥグ゠マラン地区周辺で抗議行動を行った。
スマトラ島
パダン:抗議行動が西スマトラ州DPRD庁舎前で行われた。
ブキティンギ:2024年8月23日、大雨の中、数百人がブキティンギDPRD庁舎前で抗議行動を行った。
ランプン:8月21日夜の抗議行動では『ペーパー゠ハウス』のコスチュームを着た参加者が目立っていた。
南スマトラ:シンパンリマの抗議者達は、ジョコ゠ウィドド・バーリル゠ラハダリア・ユシール゠イザ゠マヘンドラ・プラボウォ゠スビナント・ボビー゠ナスティオンといった政治家のマスクを着用していた。彼等はデモで棺桶を見せ付けていた。
ジャンビ:数千人の学生がシンパン銀行からテラナイにある議事堂まで行進した。抗議行動は警察の殴打によって暴力的になり、3人が意識を失い、4人が負傷した。
アチェ:ロークスマウェDPRK前の抗議行動は、学生達と治安部隊との衝突に発展した。同様の抗議行動がバンダ゠アチェにあるアチェ州下院でも起こり、暴力と5人の逮捕で終わった。
ブンクル:抗議行動に対し、DPRDの警備員が群衆を解散させようとして学生達を暴行した。
スラウェシ島
マカッサル:何千もの人々が地方首長選挙法案(RUUピルカダ法案)の可決に抗議し、一部はタイヤを燃やした。抗議行動はイリアナ゠ジョコ゠ウィドド大統領夫人が付近を通る予定の時間に解散させられた。
ケンダリ:数千人の学生とジャーナリストが南東スラウェシ州DPRD庁舎前で抗議行動を行った。
パル:2024年8月23日に中部スラウェシ州DPRD庁舎前で抗議行動が行われた。
ヌサ゠トゥンガラ諸島
クパン:NTT KPU(ヌサ゠トゥンガラ゠ティムール゠コミシ゠ペミリハン゠ウム、州都クパン市にある東ヌサ゠トゥンガラ州総選挙委員会)の事務所前で座り込み抗議行動が行われた。
マタラム:西ヌサ゠トゥンガラ州DPRD庁舎前での抗議行動が暴力的になったのは、警察が催涙ガスと放水銃で群衆を解散させようとした後だった。
*デンパサール(バリ)**:2024年8月23日、様々な大学の学生・公立学校学生団体・非政府組織・LBHバリ(ルンバガ゠バントゥアン゠フクム*、コミュニティ法律扶助研究所--困窮者に無料で法的支援を提供する第一線の組織)などが抗議行動に参加した。
マルク&パプア諸島
アンボン:アリアンシ゠マハシズワ゠パティムラ(マルク州アンボン市にあるパティムラ大学の学生同盟)が連立政党の議員に面会を求めたが不在を理由に拒否された後、抗議行動は暴力的になり、DPRD庁舎の窓が割られた。
マノクワリ:パプア゠バラットDPRD庁舎前で抗議行動が行われた。
ソロン:無言の抗議行動がタマン゠ソロン公園で行われた。
カリマンタン島
バンジャルマシン:数千人の学生が様々なキャンパスから集まり、南カリマンタンDPRD庁舎を占拠した。
サマリンダ:西カリマンタンDPRD庁舎前で数千人が抗議行動を行い、地方首長選挙法案を撤回し、資産没収法案を迅速に承認するよう求めた。
バリクパパン:バリクパパンDPRD庁舎での抗議行動は学生達と警察の衝突で暴力的なものになった。
ポンティアナック:学生達が西カリマンタンDPRDで行われた緊急民主化行動に参加した。
パランカラヤ:数百人の学生が抗議行動を行ったが、中部カリマンタン州DPRD議長との面会要求が満たされなかったため、大混乱に終わった。群衆は、代表者だけが要求表明のためDPR庁舎に入れるという条件を拒否した。
2024年8月22日以降も多くの都市でデモが続いていた。
(原註1)
アクシ゠カミサン(「カミサン抗議行動」)は、ジャカルタで毎週行われている抗議行動である。この行動を始めたのは、1998年末にスマンギ交差点で活動家達が射殺されたスマンギ事件の被害者家族だった。2007年以来、毎週木曜日の午後に、遺族と支援者達は黒い傘を持ち、黒い服を着て、断幕や犠牲者の写真を持ってインドネシア大統領官邸前に立つ。この抗議行動はインドネシアの多くの都市に広がり、バンドンでは2013年から行われている。スマンギ事件は新秩序時代の前将校だったプラボウォ゠スビアントの権限下で起きた。今やプラボウォとギブラン(ジョコウィの息子)は2024年の選挙で勝利した。アクシ゠カミサンの抗議者達は、プラボウォが一度は裁判に掛けられたものの無罪になったことを踏まえ、1965年~1966年の反共粛清と1998年の暴動を含めた様々な時期に起きた未解決の人権侵害に注意を向けるよう呼びかけている。アクシ゠カミサンは実際、1976年~1983年にアルゼンチンで失踪した人々の母親が起こした運動に触発されていた。アルゼンチンの母親達はアルゼンチンのブエノスアイレスにあるマヨ広場(大統領官邸「カサ゠ロサダ」の向かい)で、失踪した家族の名前を書いた布を広げて抗議したのである。