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「今を生きる思想・宇沢弘文・新たなる資本主義の道を求めて」佐々木実著

「今を生きる思想・宇沢弘文・新たなる資本主義の道を求めて」佐々木実著・講談社新書2022年10月発行

著者は1966年生まれ、日経新聞社記者を経て、現在フリージャーナリスト。

2013年「市場と権力・改革に憑かれた経済学者の肖像」で竹中平蔵を厳しく批判した。「資本主義と闘った男・宇沢弘文と経済学の世界」の著書がある。

宇沢弘文は50年前から、行き過ぎた市場原理主義を是正し、新たな経済学を目指した。

人間の尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限享受できる社会、経済体制である。そのために使われた手法が「社会的共通資本の経済学」である。

社会的共通資本の経済学とは、大気、道路、教育等「環境」を研究対象とする経済学である。

宇沢は新古典派経済学「一般均衡理論」の限界を指摘する。それは「公共財をどう取り扱うか?」の視点である。

宇沢は東大大学院数学科を退学。その頃、マルクス経済学から行動経済学へ転換し、新古典派経済学のスタンフォード大学教授ケネス・アローに師事する。

その後、シカゴ大学に移り、新自由主義シカゴ派の中心フリードマンを批判した。シカゴ大学教授の地位を捨て、東大経済学部「助教授」へ転身、帰国する。

原因は、1965年3月の北爆開始によるベトナム戦争の泥沼化。行動経済学者アラン・エントフォーフェンが、当時、ベトコン1人殺すに30万ドル必要から「ベトコンを殺すコストの効率化、予算縮小化の行動経済学」の研究を実施したことにある。

宇沢は、行動経済学に幻滅し、ベトナム戦争への憤りから、公害問題に焦点を合わせる。1974年に「自動車の社会的費用」を出版、この本は宇沢の新古典派経済学からの訣別宣言である。

公害被害者は低所得者。公害は被害者と加害者は所得分配の不公平、不平等拡大の結果である。対して新古典派経済学は、パレーツ最適によって資源分配の効率性を論じるのみで、社会的費用の考察、マイナスの資本財の評価を無視していると批判した。

シカゴ派フリードマンは、新古典派の「一般均衡理論」を無視し、市場経済の全体像を把握しない。彼らは「社会=市場」と見なす。非市場領域は市場化すべき領域と考える。市場原理主義である。

社会には「市場領域」と「非市場領域」が存在する。宇沢は、経済学にとって非市場領域分析が重要と主張する。

分析手段として「社会共通資本」の概念を導入し、「社会的費用」を市場価格に換算し、その解決にどれほどの投資が必要か?を算定した。

社会共通資本概念は「コモンズの悲劇」で説明される。

牧草地が共有地の場合、牛飼いが一頭牛を増やすと、その限界コストは牛飼い全体のコストとなる。故に牛飼いは少しでも自分の牛を増やす。結果、牧草地は荒れ果てる。

解決策は牧草地の国有化、または共有地を分割し、私有化する。「地球温暖化」と同じである。

社会共通資本の考え方はソースティン・ウエブレンの「制度主義のリベラリズム」の考え方に近い。

政治権力、経済的富、宗教権威に屈せず、人間の尊厳を確立し、人間本来の資質を最大限発揮して、夢と願望が実現する社会を作り出すこと。

宇沢は、それが制度主義であり、社会的共通資本であると主張する。

宇沢の経済思想はアダム・スミスの「国富論」から「道徳感情論」への流れに近い。「自由放任主義」から人間の社会性の根源は「同情」であるとスミスは主張する。

経済学者・宇沢も、社会の不可視なものを感知し、社会の「陰」を見つめることを重視した。晩年、成田問題に関与し、「成田空港問題は戦後日本の悲劇」と嘆いたのも同じ思考である。

世界はコロナ・パンデミックに襲われ、ウクライナ戦争に直面している。資本主義の危機が繰り返され、世界は混沌としている。

この危機の中、新たな経済学が求められる。宇沢弘文の経済学思想の再検討によって、私たちは新しいヒントを得ることができるだろう。故にいまこそ読むべき本である。

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