幕末探偵

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点を繋げるための備忘録 雑賀衆

和歌山での取材 聞き間違い、記憶違いが有れば修正します 鉄砲や戦術に関する論文や文献はあるが、銃器製造に関する文献は不明。 徳川政権下での雑賀衆に関する資料は見つからず、紀州浅野家との関係も不明。 現在も和歌山では雑賀衆の末裔を称する人が個々にいるが、団体としての存在は聞いたことがない。 徳川政権下で銃器を製造していた組織や工場の資料はなく、広島藩浅野家が鉄砲を作っていた話は初めて聞いた。 幕末時に武士が戦争で使用していた銃(俗に言われる最新銃)は、海外から購入し

    • 点を繋げるための備忘録 カール・ケッペン石碑

      県産業の礎築く カール・ケッペン石碑除幕 明治初期、軍事教練の指導者としてプロイセン(ドイツ)から和歌山藩に招聘(しょうへい)され、母国の優れた製造技術を伝え、皮革・繊維・化学など和歌山の地場産業の礎を築いたカール・ケッペン(1833―1907)の功績を顕彰する石碑が、寓居跡の和歌山大学付属小中学校駐車場(和歌山市吹上)の一角に完成した。22日には、和歌山日独協会(樫畑直尚会長)ら関係者の手で除幕式が行われた。 ケッペンは明治2年(1869)に陸奥宗光の仲介で和歌山藩に招聘さ

      • 点を繋げるための備忘録 カール・レーマン

        カール・レーマンの生涯と業績 カール・ヴィルヘルム・ハインリヒ・レーマン(1831年11月28日-1874年4月21日)は、ドイツの造船技術者、貿易商(武器商人)、日本専門家、地域政治の顧問でした。彼はオルデンブルク大公国出身で、首席判事アドルフ・アレクサンダー・レーマンとその妻シャルロット・ゾフィー・フリーデリケの長男として生まれました。家族は芸術にも関心が深く、カールはヴァイオリンを上手に弾くことができました。 教育と初期のキャリア オルデンブルクの普通教育学校と高

        • 御幸橋(南区皆実町~中区千田町)

           明治18年(1885),宇品築港事業に伴って架橋されたという。長さ140間(約255m)と広島市内で最も長い木造橋であったため,「長橋」と呼ばれたが,同年8月,明治天皇の広島行幸を機に「御幸橋」と改称された。  大正元年(1912)に路面電車が開通した際,橋に軌道を通すことができなかったため,当初は橋の西詰で電車からいったん降りて徒歩で橋を渡り,東詰の電停から宇品行きに乗り換えていた。その後,電車専用鉄橋が,道路橋の北側に併設され,路面電車は宇品まで直通となった。  ①②は

          日本の首都は何処?

          明治政府発足以来の「曖昧」が、いま現在でも政府公認として続いています。 平成11年11月4日付で、衆議院法制局長、参議院法制局長及び内閣法制局長官に対して実施した文書質問 質問 :首都とは何か。首都の定義は。 質問者:石原慎太郎 東京都知事(当時) 回答 衆議院法制局第4部第2課長から回答(文書)  ・法律の規定の解釈に関するものではないので、回答する立場にない。  ・仮に法律の規定の解釈に関する質問であっても、法律の規定の解釈は第一次的には法律を運用する行政庁が行い、

          日本の首都は何処?