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スコトーマおじさん
パートナーのオッサンの腹痛は、どうやら急性膵炎(すいえん)だったことが分かった。立っていられないほど痛くて、放っておけば重症化して多臓器不全で死ぬらしい。酒飲みに多い病気だ。
救急で運ばれた病院の対応がナゾだらけだったので(診断結果: 食べ過ぎか胃炎)、今日セカンドオピニオンを求めて他の病院を受診して判明したのだ。今日処方された膵炎の薬を飲んでしばらくしたら、さっそく痛みが引いてきたそうで。
この3日間、仕事が手につかなかった。グダグダしたりドラマとかドキュメンタリーを見続けてしまったりした。
オッサンは明日の朝からワンコの散歩をできそうだと言う。仕事にも行くらしい。無理はしてほしくないけれど、オッサンのペースにまかせる。
オッサンが死んでも僕は大丈夫、ではない。そう思ったのは初めてだ。これまで何度か、オッサンは死んだと思い込んでみたことがあった。そんな時はたいてい、僕は大丈夫と思えた。
感情を鈍麻させると、心理的な盲点(スコトーマ)が広がっていく。感じないものは存在しないも同然となる。色のない世界に生きていることに気づかなくなる。感じなくなることは強くなることではない。単に愚かになっていくことでしかない。
自分の感情を感じることは時として恐ろしい。親友を自殺で亡くしたとき、内臓をもぎ取られるような経験をした。できればあんな感情は二度と感じたくない。でも、何も感じずに生きるほど空虚な人生はない。悲しめない心に喜びは訪れない。
今日はよく寝て、心と体を休めよう。