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「すーみー」の誘惑

オリンピック中継、そして季節的にマラソンや駅伝の中継が目白押しです。今日はどれを生中継で(リアタイで、と言うようですね)見て、どれをスポーツニュースで見ようかと悩むくらいです。

どの中継も、アナウンサーによる実況だけでなく、その競技の経験者による解説があります。それぞれの競技を極めた方々による解説は、中継を何倍も面白くしてくれます。特に、カーリングなどは、解説がなければ、ナイスショットなのかどうかさえわかりません。

さらに最近は、選手本人や選手の家族などから聞き取った「裏話」の披露も解説者の仕事のようになってきました。マラソン解説あたりから、この傾向は強くなってきたでしょうか。
競技者としてのキャリアの裏にどういう生活があるのか、それを知ることで感動が大きくなることは確かにあります。
ただ、どうでしょうか、これは昭和人の感覚かもしれませんが、「いや、そこまでは知らなくていいんだけど」「それ、競技に関係ないよね」という情報が最近はちょっと増え過ぎているような気もします。
量的に少しであれば、スパイスのように解説全体に深みを与えると思うんですが、ちょっと量が多過ぎて、素材(解説そのもの)の味が失われた料理のようになっていることもあるように感じます。

「すーみー」という沖縄の言葉があります。こっそり見ること、覗き見ることです。たぶん、誰でも、他人の家の裏事情や、普通は見られない(見てはいけない)場所は、すーみーしたいという欲求があるのではないでしょうか。
一方で、これはこっそりと隙間から見る禁断の感じがミソで、あまりに見えすぎるとありがたみ(興味)がなくなります。

スポーツ解説のみなさん、「裏話」ありがとうございます。でも、もうちょっと「すーみー」感、大事にしていただくことはできませんでしょうか?