地方新聞に小さく写るオッサンの話
たまに、新聞を見ることがある。
親が惰性で定期購読している、地方新聞を。
パラパラとめくると、地元の出来事が書かれていて少し楽しい。こんなイベントがあったのかと後悔する事もあれば、こんな事件が地元で起きてたと驚く事もある。
そんなある休日のこと、ある一面に見覚えのある男性の顔写真を見つけた。
顔立ちは、タレントの松岡修造氏と長嶋一茂氏と堀内健氏を足して3で割った様な感じだった。
ここでは彼の事を『マツモトさん』と仮称しておこう。
このマツモトさん、私と私の家族内では
『ケツ筋おじさん』
で通じるオジサンだった。
なぜマツモトさんという方が『ケツ筋おじさん』と(勝手に)呼ばれているのかというと、ある出来事がキッカケだった。
今から約20年前、まだ小学校1年か2年くらいだった頃。確か参観日で午前授業だけだった日で…。親が参加したPTAの会議が終わるのを待っていた時かな…。
あー、ダメだ。忘れてるわ。20年も経つと忘れちまうね。
でも、親を待つ間に退屈そうにしていた俺と弟を、マツモトさんが「いいか!?ケツ筋を鍛えるとな!紙を1枚だけで挟めるようになるんだぞ!」と作業ズボンの上から器用にスッとコピー用紙を1枚だけ尻に挟んで、そのままグルグルと尻を振り回して笑わせてくれていたのは覚えている。
いざやってみると、これがなかなか難しい。当時の作業ズボンはそこまで生地が薄く無かっただろうから、相当なケツ筋の持ち主だったのだろう。
ついでに鍛え方も教えてくれた。マツモトさん曰く「割り箸を挟むんだよぉ!キュッとな!」と言っていたが、どうやら現在も美尻効果や代謝アップを狙って尻にペンを挟むトレーニングがあるそうだ。先取りしすぎだぜマツモトさん。
俺と弟とマツモトさんで尻に割り箸挟んで舞い踊っていると、会議が終わったのか親父が戻ってきた。
「何してたの?」と聞く親父に「ケツ筋鍛えてた!」とマツモトさん含め3人で返事をすると、ちょっと呆れて笑ってたのも覚えてる。
親父の知り合いだったこともあり、地域行事で顔を合わせたりしていたが、中学校に上がると環境も変わり出会う事も無くなっていった。
そんな彼の顔写真を、20年ぶりに新聞で見つけたのだ。
地方新聞の、おくやみ欄で。
享年61歳だった。
彼は数センチの顔写真と簡単な人物像だけが書かれた文章で、お悔やみ欄に飾られていた。
そこには、(もちろんだが)ケツ筋の話は無い。
あの時、俺と弟を笑顔にさせてくれたケツ筋おじさんのエピソードは無い。
唯一無二のエピソードだ。それも、俺と弟が亡くなったらおしまいだ。地球上から無くなる。
でも他人に伝えたところで、身内以外はパッとしないだろう。
ケツ筋おじさんが夏目漱石レベルの偉人だったら、ちょっとした小話になって少しは盛り上がるかもしれない。
でも、ケツ筋おじさんは偉人ではない。
タダの市役所職員だった。
なんか、切ない。
変に覚えている変なエピソードを永遠に残して置けないのが。
おそらく、これを読んだ方々も、街を行き交う人々達にも、戦争を止めない野郎共にも、1分前まで生きてた人々にも、こういう『妙に心に残っている他人の良いエピソード』というのはあるのかもしれない。
俺は来年で30歳になってしまう。
コロナ禍もすっかり落ち着き、地元の消防団に入った事もあって、地域の行事に参加する事も多くなり、色々な人と会う機会も増えてきた。
当時のマツモトさんは30〜40前半くらいか。
俺も、マツモトさんみたいな大人になれる日がだろうか。
ケツでコピー用紙を1枚だけ挟める漢に。
じゃなくて。
誰かを笑顔に出来る様な大人に。
なんちって。
ではまた次回。