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読書の日記#3 『沖で待つ』

先日祖母の一周忌があり、十数名の親戚が集まった。
大半は叔母の家族と父のいとこたち(祖母からみた甥や姪)で、私からするとほとんど会ったことのない人たち。でも彼らの間では思い出話に華が咲いていて、交流がないだけで縁のある人が少なからずいるのだなと思った。

さて、今回の作品はこちら。
絲山秋子『沖で待つ』文藝春秋(2009)

表題作を含む3編からなる短編集。失礼ながら本書を手に取るまで作者を存じ上げず、タイトルからは厳めしい話を想像していた。
けれど予想に反して文章はかなり軽妙。1作目の『勤労感謝の日』のお見合いの場面の"頭の中ではコイツトヤレルノカ?という声がする、…"(p.18)というような明け透けな描写がかなり多い。あとそういう言葉遣いのなかでセリーヌとかの名前が出てきたりして、鼻につく都会のインテリっぽさがあり面白かった。全体的に山田詠美の文章に近い空気感があり、バブル時代のエネルギッシュさに溢れている作品だと感じた。
『勤労感謝の日』と『沖で待つ』の主人公である2人の女性は男女雇用機会均等法が施行されて間もない社会で生きているから、そうした文学の出現というのが当時は新しかったのだと思う。

ただ率直にいうと、そういう文体や時代感のノリは自分の肌に合わなかった。物語としても無職になる、お見合いをする、転勤して営業で働く、同期を失うといった出来事があまりに現実的すぎて、自分が小説に求めるのはこういうのではないなと再認識。
もっとなんでもない日常が面白い読み物になったりすることも在ると思うし、そこは文体と描写する場面場面が織りなす妙なのだろう。まあ単純に好みの話といってしまえばそれまでだけど。

一周忌に話は戻って、物静かな我々のなかでめちゃくちゃしゃべる妙齢の姉妹がいたのだけれど多分作者と同世代だったのではと思う。
その前日に飲んだお酒がやや残っていた自分は彼女らのエネルギーにややげんなりしてしまったものの、たまにはそういう異世界と出会う面白さは小説も同じだと思った。

2024/9/30

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