職業:詩人になりたかった話
「詩人になるのと、幸せになるの、お前はどっちがいい?」
もう連絡のつかない、本当の名前も知らないネット上の友人から聞かれた、他愛のない質問。
私にとっては忘れられない質問だ。
結果から言うと、私は幸福を優先し続け、そのまま(一度は)筆を折るに至った。
そもそもあのまま詩作を第一に生きたとして、職業:詩人になるというのは夢のまま終わったような気がするけれど、何にせよ私には幸福を捨てる勇気は持てなかった。
あの頃は、本当に詩人として活動していきたいと夢見ていた。
多少のスランプはあれどほぼ毎日一作のペースで詩作に励み、知り合いの勧めで朗読会に出たり、某SNS上のサークルで知り合った詩作仲間たちと展示を行ったりと細々活動をしていた。
金銭的に余裕ができたら詩集も作ってみたい、なんて考えもあった。
けれども自分を取り巻く環境が変わり、自らの責任で自由に物事を決められるようになった時、ぱたりと一切の創作意欲がなくなってしまった。
当時は悩んだものだけれど、今になって当時の作品を読んだり、じっくり考えたりしてみると案外原因はすぐに分かった。
私の創作への活力は「逃避」からくるものだったのだ。
彼はこうも言っていた。
「このまま不幸であり続けないと、お前は詩を書けなくなる」と。
まるで呪いのようなその言葉は、実際その通りになった。
居心地のよくなかった実家を離れ、一人暮らしを始めた。
友達みんなが羨ましくて妬ましかったから、少しずつフェードアウトした。
恋人もいたけれど、あまりいい関係性ではなかったから、こちらも少しずつ距離を置いていった。アルバイト先も変えた。
そうやってストレスを感じる何もかもを排除していくうちに、詩作の間隔がどんどんと開いていき、最終的には全く何も浮かばなくなった。
正確には、頑張って捻り出そうとあがいたけれど、過去の作品の焼き直しのようなものや、奇をてらい過ぎて中身がない(と感じる)ものしか書けなくなってしまった。
当時は自分の詩作が逃避目的だなんて思っていなかったから、焦ったし、受け入れがたかった。ちょっと忙しくなったくらいで枯れるようなものではないだろうと。
でも駄目だった。
他の人の作品を読んだり、批評をしてみたり、文学に限らず様々なインプットを試したりしても、一つも筆が進まない。
みっともなく惨めに感じるほどあがいた後、ふと友人の言葉を思い出した。
ああ、これはそういうことか、と。
最後に一作だけ、焼き直ししかできないことを逆手に取った「絶縁状」のようなものを書いて、当時のペンネームでの活動を終えた。
書けなくなり始めたのは2012年。諦めがついたのは、2016年のことだった。
正直な話をすると、最後の作品を書き上げてから一年後には詩作を再開している。
非常に心を揺さぶられる不幸な出来事があり、気がついた時には一作書き上がっていたのだ。
発表にあたり、以前のようなギラギラとしたモチベーションは持ち合わせていなかったから、ペンネームは変えた。
そのまま当時勤めていたブラック企業への不平不満を元に何作か書き、仕事を辞めた後は三年開いて一作。
これは大好きなのに苦しくなるほど羨ましい友人ができたからで、ここで私の創作意欲の元が「逃避」であることに気がついた。
そしてまた三年開いて今に至る。今はのんびりと、趣味として気楽に詩を書いている。
「何にも不満がなくなったのか」と聞かれればもちろんそんなことはない。
けれども、いい大人になった私は鈍感さが増したのか、吐き出さなければいけないほど何かを溜め込むことはなくなった。
鬼気迫るような情景や、鬱屈した息苦しさを感じる文章はもう書けないかもしれない。芸術性を追求することにも、もう情熱は湧かない。
でも、私にはそれで良かったのだと思う。
なぜなら今、文章を書くのがこんなにも楽しいからだ。
もしかしたらがあったかもしれない。けれど、そこに未練や後悔はない。
だから彼ともう一度話すことができたなら、胸を張って言ってやりたい。
「詩人のままだし幸せにもなってやったぞ!」と。
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