小説「むき出し」考察21 ママの涙(ソクラテス)
※※※この記事は、2022年2月4日に作成し、
小説「むき出し」考察【第一章】目次で
下書きの状態でリンク共有していた記事です※※※
≪≪兼近大樹著 小説「むき出し」の考察シリーズ≫≫
石山くんに直接涙を見せてこなかったママ。
叱ることはあっても、泣くことはなかったママが
逮捕で泣いてしまったのはなぜか?
「人を騙すより人に騙されるような人になりな」
この言葉の真意とは?
みんな大好き大樹ママ💛彼女の魅力をほーーーーんの一部ですが書かせていただきます。
本日もよろしくお願いします!!✨
*****
◆~16歳~ ママと2人で怪我をさせた大学生の家に向かっている。小学生じゃあるまいし、相手の家に親と謝りに行くって……。(中略)迷惑かけちゃったかなと思ったけど、ママはなんだか楽しそうで、足取りは軽い。
テレアポ暴行事件の謝罪訪問に行く時のシーン。「ママと謝りに行くのは中学の頃以来」と言っていますので、だいたい1、2年ぶりなのかな?
被害者側から読むと無神経とも取られてしまいそうな親子の明るい会話ですが、ママを巻き込むことを申し訳なく感じる息子に、申し訳ないなんて思わないでほしいと、ママはわざと明るく振る舞ったのかな、これがまず1つ目。
そして、息子のやった事を自分で謝りに行ける、息子のやったことに自分もまだ関わることができる、そんな喜びが「お花畑」だった、これが2つ目。
しかも今は二人とも働いていますので、こんなじゃれ合いこそ小5のスナックの帰り道以来。きっと成長するにつれて息子のプライベートを見る機会もどんどん減っていたと思うので、息子の生活っぷりが久しぶりに見れることもママは素直に嬉しかった、これが3つ目。
「あれも謝ったねぇ」「これも謝ったねぇ」と昔話に花を咲かせずにはいられなかったのは以上3つの理由があってと考えました。
そして、二人は謝罪を終えて帰路につく。
◆捕まって済むならそれで終わりたかった。法律ってなんだ?マジの罪ってこれじゃないの?
ここっ!!!このセリフと中2の時の土下座を比較すると非常にエモいです。
あの時は「可哀想な俺」の証が欲しくて警察に捕まりたかった。けれど、「捕まって済むならよかったのに」と思うほど、今回は倫理の部分で罪を感じているっていうことです。
この倫理の部分の罪悪感を16歳で経験できる石山くんの成長物語が本当に素晴らしい。
◆「今日、晩ご飯なに食べよっか?」ママは向かっている時と同じテンションで話しかけてきた。
このセリフをママは「同じテンション」で言ったと石山くんは言いますが、、、この時実は、ママはずーーっと見ていたんじゃないかと。
我が子が、数ページにも渡って心の声に懸命に耳を傾け、自己と一生懸命対話し、今まさに、目の前で大人になってゆく、我が子の繊細でたくましい横顔、背中、歩幅の一歩一歩を。
「俺達は喋れないでいる」に始まり、ママのスニーカーが黒いことに気づかない俺、俺の事しか見えてないことに気づく俺、と一生懸命自己と対話する石山くんを。
もう自分で分かると信じたからこそ。
多分こんな感じで。だからママは黙っていた。
ちなみに上記は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの問答法(産婆術)の説明です。
おや?なぜここでソクラテス??
はい、おまたせしました!!
「人を騙すより人に騙されるような人になりな」
これソクラテスですっ!!✨
このソクラテスの思想をもっと詳しく知りたい方はこちらの記事がおすすめです。↓↓
◆~16歳~
ママ「バカでいいよ。人騙すより騙されて生きてた方が素敵じゃん」
ママはソクラテスと同じく、ただ生きていくのではなく、善く生きていきたいと思っていた。善く生きられるならば、生き方を知らないバカでいい。
この考え方は、「善く生きる方法(知)を身につけることは魂にとって良いこと(徳)である」という知徳合一が近いのかも。
家族を生かしたいという石山くんの「知」も、家族で善く生きたいというママの「知」も、どちらも偉大で素晴らしく、だからこそ、ぶつかり合うこのシーンがとても切ない。一体どうすればいいのか。
(※この対決、また後日詳しく)
***
◆~20歳~「その子は悪い子じゃないんですーーー!!!」後ろを振り返ると母が床に座り込み泣きじゃくっていた。(中略)あんなの初めてだ。変な感情のスイッチが入ったのか?
逮捕のシーン。最初の何周かは私も石山くんと同じように戸惑いました。あれだけたくさんの悪さに巻き込まれ、あれだけ涙を見せないママが、なぜここで泣くんだろうと。
でも、音読で、ママとしてここまで石山くんを育ててきたら、ここは当然の涙でした。(お前誰やねん!笑)
他の悪さと、この逮捕、一体何が違うのか?
私が思うに、「自分が叱ってあげることができない、正してあげることができない」という範囲だったからなのかなと。
テレアポ暴行事件までは、まだ一緒に謝りに行けたわけです。1、申し訳ないなんて思わないでほしい、2、我が子がやったことに私も関われるなら、3、近くで見守りたい、と。
それが今度は、初めて自分が守れる範囲外で悪さをしてしまった。もう私にはこの子を守ってあげることができない。だから、自分が守れる範囲を超えた先にいる全大人たちにどうか分かってほしかった。大樹は決して悪い子ではない、と。
そう強く訴える気持ちが溢れ、堪えきれずに涙となった。決して涙を武器にはしたくない、だけどこの時、ママは泣いて訴えるしか我が子を守る術がなかった。もう一緒に謝れないから。
◆成人してから捕まるのは初めてだからかな?
そして、この石山くんのセリフの時点ではおそらく石山くん本人はこの時のお母さんの気持ちを分かってはいなかった。
でも、だから良いんです!!!!
子どもは、子どもの思考と経験の範囲で精一杯ママの気持ちを想像したという事、
ママは、子どもが想像できる範囲を超えた愛を精一杯与えていたという事、
この二点だけで十分です!
著者があえて、石山くんに理解できていない風のセリフを言わせることで、上記二点が言語表現を超えた愛となって鮮やかに表現される!!!!ティーチャー最高っす!!!✨
愛とは言葉を超えた先、と私は思っています。
言葉がなければ、ルールも存在しない。
言葉がなければ、括られない。
石山くんの生きた世界は、社会のルールに守られない、仲間との「言葉で交わす約束」だけで成り立つ世界だった。
その世界で貫いた石山くんの正義は今、別の世界の言葉によって作られたルール(法律)によって裁かれる。
言葉の違う世界では、言葉を越えた「愛」の存在だけが生きる頼りとなる。
その言葉を超えた「愛」をずっと与え続けたママ
我が子の想像の範疇を越えるほど与え続けたママ
◆今を嚙み締め、空を仰ぐ。
子どもの頃からずーーっと一緒だった空くん。その空くんが、この状況をみたらなんて言ってくれるだろう?そんな気持ちで一生懸命、留置場前の「最後の」空を見る石山くんがまた良いです。
きっとこの空を、ママも、
泣きじゃくりながら見てたかも。
このシーン大好きです!!!!✨
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