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島のインじぃ言いたい砲台25 〜続 火の山砲台 in 下関要塞〜 2023.7.1
火の山第4砲台
火の山砲台の本命は第4砲台です。砲側庫や掩蔽部(予備知識が無い方は言いたい砲台2へ)に入るのに大分心理的抵抗が無くなってきましたが、真っ暗で水没した地下施設は、とてつもなく恐ろしげな雰囲気が漂っています。
正直言って、仕事の一環という気持ちがあればこそ、雨ガッパ着て嫌々足を踏み入れるんであって、趣味ではやりません。絶対に😭
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さて火の山第4砲台は口径28㎝榴弾砲2門の配備で、その砲座の地下に砲側庫や掩蔽部が配置される形になります。懐中電灯を準備し、覚悟を決めて階段を降ります。
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エイッと入った端の部屋が弾薬庫です。奥の狭い所が揚弾筒で、天井に弾薬を上の砲座に引き上げるための穴が開いてます。友ヶ島第3・4砲台(言いたい砲台19)もこのような仕組みになってました。
同じ下関要塞の金比羅山堡塁では、「28榴の弾丸2発(直径13㎝、高さ34㎝)と装薬2鑵を、かご形の手動揚弾機に載せ、これを滑車を用いて人力で引き揚げた。」(浄法寺朝美『日本築城史』原書房1971 p160)となっています。
下から穴をのぞきたいんですが、水没して近づけません。しかし雨で水没するような場所が弾薬庫として役に立ったんだろうか🤔
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地下施設の両端が弾薬庫で中の5連が兵員室となっており、井戸のある部屋に入りました。中は3部屋に仕切ってあり、これまで見たことがない長さ(25.5m)の掩蔽部です。
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となりの兵員室にはカマドが残っているということで、見たかったんですがやはり水没で近寄れない😭しかし暗い寒い湿っぽいの3拍子?揃った掩蔽部で、居住性は相当悪そうですこの施設🤔
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弾薬庫の反対側には、砲座へ上がる通路があります。もっと光を!
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地上へ上がると口径28㎝榴弾砲の砲座がありました。これまで見た榴弾砲の砲座は2門並んで配置されていましたが、ここは真ん中に観測所を挟んで両翼に1門ずつ配置されていたようです。
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真ん中の司令室と階段を上がると観測所があります。司令室はレンガ壁はイギリス積み(言いたい砲台24)のようです。
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第4砲台には他に口径15㎝臼砲4門と口径12㎝カノン砲4門が配置されていました。これは関門海峡だけでなく内陸部にも向けられていて、第4砲台は上陸した敵から下関要塞を守る堡塁の役割もはたしていました。
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第9号砲側庫からスロープで上がった場所に2門の砲座があったようですが、どちらの大砲がどの位置に据えられたかは良くわかりません。移動可能な大砲でフレキシブルに対応していたので明確な砲床位置も無いのかもしれません。
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高射砲陣地
高射砲は砲台の大砲と役割も時代も違います。砲台は敵艦、高射砲は敵の戦闘機に対して砲撃を行います。戦闘機の時代になり砲台は次々と廃止されていきますが、ここでは口径15㎝臼砲または口径12㎝カノン砲の砲座を高射砲座につくりなおしています。
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他にも行きたい砲台がありましたが、天気が悪いので、現場からは以上です。屋根のある場所に移動します。
金比羅山堡塁砲台
金比羅山堡塁砲台は公園化されて今は見ることができませんが、下関市立歴史博物館にジオラマがありました。口径28㎝榴弾砲(中央楕円形4砲座)と12㎝カノン砲(側面に向いた4砲座)と機関砲4門を配置し、「最も堅固につくられた堡塁砲台の代表」(『日本築城史』p160)だそうです。明治23年起工・明治26年竣工(完成)しました。
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掩蔽部・弾薬庫・司令室等ほぼほぼ地下施設となっています※。砲座背後の掩蔽部はなんと合計14連で、それとは別に病室と炊事場が付属します。掩蔽部のさらに下には貯水槽があるそうです。砲台に町一つすっぽり入った感じですね。
金比羅山堡塁砲台はこの後に続く砲台や堡塁の見本となるような出来で、砲台の歴史の中でエポックメイキング的な位置付けがなされているようです。
下関という土地柄、いかに守りを重視した堡塁が重要であったかわかりました。ではまた(^_^)/~
※『日本築城史』には金比羅山堡塁砲台の図面11枚が掲載されており、国立国会図書館のネット検索で見ることができます。図面と上のジオラマで脳内3D化してみて下さい。