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78rpmはともだち #8 ~イダ・ヘンデル チャイコフスキー『ヴァイオリン協奏曲』~

1948年にLPが発売されるまでの音楽鑑賞ソフト(音盤)であった78rpmについて綴るシリーズの9本目(1本は「番外編」)。
今回は私が78rpmをコレクトする中で外せないヴァイオリニストをご紹介。

イダ・ヘンデル

今年6月30日にイダ・ヘンデルが91歳で亡くなった、というニュースは日本ではそれほど大きく取り上げられなかった。
しかし、イギリスや住んでいたカナダなどでは、一般紙でもそれを大きく取り上げていた。
「現代最高齢の女性ヴァイオリニスト」と言われ、実際、2013年には来日公演も行っており、80代まで現役であったことは間違いない。

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イダ・ヘンデル(Ida Haendel)は1928年12月15日にポーランド・へウム出身のヴァイオリニスト。
ただし、生年にはいくつかの説があって、1924年というのも有力だ。
なぜ、生年説がいくつかあるかと言えば、彼女が”天才少女”として楽壇デビューするにあたって、その年齢が低ければ低いほど驚きをもって迎えられ、注目される、という父親の企みがあったから。そのためプロフィール上で年齢詐称した可能性があり、生年が定かでなくなった、というわけだ。

これは別にヘンデルに限ったことでなく、20世紀前半、親や教師、興行主によって天才少年・少女に仕立てられた演奏家は多い。
例えば、かのヨーゼフ・シゲティ。
彼は1906年、14歳の時、ロンドン・デビューを飾った。その時、興行主はシゲティの少年性を強調するために、セーラー服と半ズボンを彼に着せた。
シゲティはそのためにすね毛を剃らざるを得なかったことを、後年回想している。

ヘンデルは5歳にして、メンデルスゾーンやチャイコフスキーのコンチェルトをものにしていた、という話が伝わっているが、事実、彼女は天才少女だった。

1935年 歴史的出来事

有名な歴史的事実で、その場面とそこに登場する人々に思いを馳せる、妄想すると、いくらでも時間が潰せそうな出来事が1935年にあった。

ポーランド・ワルシャワで初開催された「ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール」で第1位となったのは、ヘンデルと同じく「天才少女」と言われ、1949年に飛行機事故で悲運の死を遂げたジネット・ヌヴー、当時15歳だった。
そのヌヴーに敗れ、第2位に甘んじたのが、20世紀を代表する巨匠となったダヴィート・オイストラフ、当時26歳。オイストラフは「ヌヴーに敗れたのは当然の結果。そうでなかったらその審査は不公平なもの。」と妻に語ったという(これは歴史の悪戯だが、戦後1955年に再開された第2回のコンクールで第1位となったのが、オイストラフの息子、イーゴリだ)。

そしてその時、第7位に入賞したのが、イダ・ヘンデルだった。生年1928年説でいけば、彼女は7歳!24年説でいっても11歳・・・。

因みに最下位にあたる第9位に入賞したのが、同じくポーランド出身で、その後アメリカに渡り活躍したブロニスワフ・ギンペル、24歳だった。

後世に名を残し、録音も多いヌヴー、オイストラフ、ヘンデル、ギンぺルという4人が会した「第1回 ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクール」。

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有名な国際コンクールで自国の入賞者が出るとひと騒動するものの、いつの間にかそれも忘却の彼方に葬り去る”イマドキのどこかの国”の”軽さ”と較べると、その重さに圧倒されそうである。

ヘンデルの音

「天才少女」ともて囃されたヘンデル。テクニックがすば抜けていたことはその通りだし、80歳代まで現役であったこともそれを裏付ける。
しかし、テクニックだけで80年以上もヴァイオリニストとして活躍できるわけではない。
そのテクニックを土台に、まるで万華鏡をのぞいているような色彩的な音のニュアンス、そして気持ちが籠ったエネルギッシュな音の発散が融合され、ヘンデルをヘンデルを足らしめているような気がする。
それは活動時期に拘わらず、一貫してヘンデルの芯を貫いていたものだろう。
彼女が師事したのが、名教師と謳われたカール・フレッシュ、そしてヴィルトーゾの時代に生きながらも、ただテクニックを誇るヴァイオリニストとは一線を画し、精神性をも見せつけたジョルジェ・エネスク。
この二人が、音楽家としての彼女のキャラクターに大きな影響を与えているのだろう。

ヘンデル、ヌヴーと同世代の女流ヴァイオリニストで、生前よりむしろ亡くなってからその実力が認められ、人気が高まった人がいる。
残されたレコードのオリジナル盤が高値で取引され、未発表の音源が次々と発掘されてきたヨハンナ・マルツィだ。

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マルツィは1924年生まれ。もしかしたら、ヘンデルと同い年だったのかもしれない。
「魅惑の女王」とよくわからない形容をされるマルツィ。
ヘンデルやヌヴーが「動」「熱」だとすれば、マルツィは「静」だった、とは決して言わないが、より微妙な音の質感を伝えるところに、そのアイデンティがあったヴァイオリニストだったように思う。

今日の【ターンテーブル動画】

というわけで、イダ・ヘンデルの78rpmを。
これは、もし1928年生年説を採用すれば、17歳の時のヘンデルの演奏、ということになる。
1945年、第二次大戦終戦の年にロンドンで録音されたチャイコフスキーのコンチェルトである。
ここで聴かれる音楽は既に「完成」されている。しかし、もちろん老けてはいない。
「演奏するのが楽しくてしようがない」という勢いがある。

同じく天才少女と言われ、潰れることなく現代を代表する女流となったアンネ=ゾフィー・ムターは、そんな意味でどことなくヘンデルの面影を感じさせる。ムターはフレッシュの孫弟子だ。

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