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クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #39~ミリザ・コルジャス『THE GREAT WALTZ』

これまでこの「note」で78rpm時代の「歌手 兼 女優」の何人かに触れて、この時代は現代とは異なり、オペラ、ミュージカル、映画のいずれにも出演することの垣根は低かった、ということを綴ってきた。

Jon.シュトラウスの『春の声』を聴き較べた時、その一人としてミリザ・コルジャスの78rpmを聴いたが、今回はそのコルジャスについて。

ミリザ・コルジャス

ミリザ・コルジャス(Miliza Korjus,1909年8月18日 - 1980年8月26日)は、ポーランド出身のエストニアのコロラトゥーラ・ソプラノ。

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コルジャスの父親はロシア帝国の軍人。ロシア革命前後、彼はモスクワで職務にあたっていたが、その間彼女は母親とともにキエフに移り住み、そこで音楽的教育を受けるようになった。
コルジャスは10代の頃、ドゥムカ合唱団のメンバーとしてソビエトを巡回していたが、1927年、レニングラードに赴いた際、彼女は国境を越えてエストニアに潜入し、そこで父親と再会した。
そしてバルト諸国とドイツでツアーを行い、1929年に物理学者のクノ・フォルシュと結婚し、1933年にはベルリン国立歌劇場と契約。その才色兼備ぶりはすぐに多くの人に知られるようになり、 ”ベルリン・ナイチンゲール” とか”ゴージャス・コルジャス”と呼ばれた。

その名声は海を越えてアメリカに伝わり、映画大手MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)は、コルジャスと10年間の映画出演契約を結び、彼女は1936年3月に夫と娘と共にアメリカへ移住した。
理由はともあれ、コルジャスもまたナチスの絶対的支配となっていたドイツ、そして不穏な空気が充満しつつあった旧大陸に別れを告げた。

The Great Waltz

そして1938年、MGMでのデビュー作『ザ・グレート・ワルツ』が公開された。

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このミュージカル映画は、ヨハン・シュトラウス(フェルナ・クラヴェ)を主人公に、彼とデーヴァであるカーラ・ドナー(コルジャス)の実らぬ恋を描いたほろ苦いラブ・ロマンス。シュトラウスを描いてはいるが、フィクションである。

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同じ頃、実在の作曲家を主人公とした映画には、以前に触れたマルタ・エゲルトの『未完成交響楽』(1933年)がある。いずれもストーリーは娯楽映画の範囲を超えるものではないが、やはりコルジャスにしろ、エゲルトにしろ声楽の基礎が堅固なソプラノが、その映画に溢れるほどの華を添え、大ヒットをもたらしたことは間違いない。
コルジャスはここでの演技が評価され、この年のアカデミー助演女優賞にノミネートされた。

戦中、そして戦後

しかし残念なことにコルジャスはこの後、自動車事故で足の切断すら検討される大怪我を負った。最悪の事態は避けられたものの、長期間のリハビリが必要となり、MGMとの契約は終了した。

1941年には南米ツアーをするまでにコルジャスは回復したが、そのツアー中に第二次世界大戦が勃発、彼女はその間メキシコに滞在することを決めた。1944年にアメリカへ戻るまで、彼女はメキシコでコンサート、映画で活躍、そんな活動の中から、スペイン語で歌った78rpmもリリースされた。

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アメリカに帰国した後は、カーネギーホールでコンサートを開催したり、全米ツアーをおこなったりして活躍。住まいをロサンゼルスとした。
1952年にステージ活動は引退したものの、レコード録音はしばらく続けていた。
そして、1980年8月26日に心不全で亡くなった。享年81歳。

【ターンテーブル動画】

では、ミリザ・コルジャスの歌手、女優としての魅力満開の『ザ・グレート・ワルツ』から3曲。

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いずれもヨハン・シュトラウスの音楽を、ディミトリ・ティオムキンが編曲し、歌詞はオスカー・ハマースタイン2世が新たに書き足した。指揮はウイーン出身のアルツール・グットマンが当っている。

では、ミリザ・コルジャスの溢れる魅惑のコロラトゥーラ、ご堪能あれ。

WEBには映画のトレーラー動画も上がっているので、是非そちらも。



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