クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #25~”悲劇のコロラトゥーラ・メゾ・ソプラノ” コンチータ・スペルヴィア
”悲劇のコロラトゥーラ・メゾ・ソプラノ”
人は彼女のことをそう呼ぶ。
何故ならば、彼女は1936年3月29日、出産のためロンドン市内の病院に入院、しかし翌30日、まず新生児を死産、数時間後に彼女自身も亡くなったから。39歳だった。
彼女の名はコンチータ・スペルヴィア(Conchita Supervía, 1895年12月9日 - 1936年3月30日)。
スペイン・バルセロナ生まれのメゾ・ソプラノである。
十代前半でバルセロナ・リセウ音楽院に入学、声楽を学び始めたスペルヴィアは、15歳の時には既に南米随一のオペラハウスであるアルゼンチン・ブエノスアイレスのコロン劇場でデビューしたと言われている。
そして1912年には生地バルセロナのリセウ劇場において、その後、彼女の代名詞となるビゼーの『カルメン』のタイトル・ロールを初めて歌った。
第一次世界大戦中の1915年にはアメリカに渡り、はシカゴ・オペラで『カルメン』、『ウェルテル』(マスネー)、『ミニョン』(トマ)に出演、二十代前半で全世界のオペラ界においてその名を知られることとなった。
コロラトゥーラ・メゾ・ソプラノ
第一次大戦終了後にはローマ歌劇場、ミラノ・スカラ座、そしてロンドン・コヴェント・ガーデンなどで活躍したスペルヴィア。
彼女がオペラ界に残した足跡で最も重要なものは、それまで慣習的に(というより、多くの歌手がそうできなかったから)ソプラノによって歌われてきたメゾ・ソプラノ・レッジェーロ(イタリア語で「軽やかに」「優美に」の意)の役柄を、その通りにメゾで歌った、という点である。
ただ軽く歌うのではなく、メゾの声域だからこそ活きる役柄(性格)で、コロラトゥーラの特徴、技巧も必要という、微妙な役どころをスぺルヴィアは見事に熟したのである。
もちろん、カルメンはその一つだが、ロッシーニが強く求めたコロラトゥーラ・メゾのヒロイン役、つまり『ラ・チェネレントラ』アンジェリーナ、『アルジェのイタリア女』イザベッラ、そして何と言っても『セビリアの理髪師』ロジーナにおいて、スペルヴィアはそのスペシャリティを遺憾なく発揮したのである。
そんな彼女の録音は数多く残され、代表的な彼女の持ち役のほとんどを78rpmから復刻されたCDや配信音源で聴くことが可能である。
力強さをベースにしながらも、ソプラノ音域にも達するような高域でのテクニカルな歌唱は、スペルヴィア独自のものと言ってよい。
そして、その愛おしい容姿、声と一致すると言われたという演技力によって愛されたスペルヴィア。
そこに冒頭で触れた悲劇的な最期が重なり、彼女の歌は今でも多くのオペラ・ファン、声楽ファンを虜にしている。
【ターンテーブル動画】
ロッシーニの諸役は改めてお届けするとして、今回はコンチータ・スペルヴィアがそれぞれ原語、つまりフランス語、スペイン語、そしてイタリア語で歌ったビゼー『カルメン』の『ハバネラ』(1930年)、アルベニスの『グラナダ』(1930年)、そしてモーツァルト『フィガロの結婚』ケルビーノの『恋とはどんなものかしら』(1929年)、3曲続けてお楽しみいただきたいと思う。