クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #09~S クーセヴィツキ― 『ブランデンブルク協奏曲第4番』1945.8.13&14~
20世紀前半、ボストン交響楽団をアメリカを代表するオーケストラに作り上げたセルゲイ・クーゼヴィツキー(Serge Koussevitzky, 1874-1951)。
雄大で骨太なロマン的音楽作りが特徴で、幅広いレパートリーを誇り、同時代の作曲家の庇護者でもあったクーセヴィツキ―については、以前こちらにも綴った。
あまりイメージは湧かないかもしれないが、クーセヴィツキ―は1940年代にボストン交響楽団とともにバッハの『ブランデンブルク協奏曲』全6曲も録音している。
その中から『第4番 ト長調』をHMVオリジナル78rpmとクレデンザ蓄音機の組み合わせで。
思いのほか軽快な第1楽章。古さを感じさせない。
第2楽章はロマン的な音の厚みを持たせ、第3終楽章はクーセヴィツキ―らしい太く、そしてテンポも動かしながら大きく終える。
実はこの録音、1945年8月、ボストン交響楽団の夏シーズンの本拠、タングルウッドで行われている。録音日は13日と14日。
ボストンを州都とし、タングルウッドも含まれるマサチューセッツ州と日本の時差は-13時間(夏時間)。ということで、14日のレコーディング・セッションが昼頃行われていれば、それは日本時間では8月15日、終戦の日だ。
さらに言えば、8月15日の録音と言えば、日本人なら昭和天皇によるあの「玉音放送」を真っ先に想い起す方も多いだろう。
「玉音放送」は、予め前日14日の深夜から翌当日の1時頃までに録音とアセテート盤のプレス作業が行われ、15日正午過ぎにNHKラジオで放送された。
クーセヴィツキ―のこのバッハ(同じセッションで『第3番 』、そして『管弦楽組曲第2番、第3番』も録音されている)と、玉音放送の録音の時間差は長くても1日、ということになりそうだ。
アセテート盤はシェラック樹脂製の78rpmと比較して品質的には劣悪で、しかも貧弱な電波に乗って国民に届けれれた。
それと比較して、このブランデンブルクの豊潤な音の響き・・・。
期せずして、1945年8月のアメリカと日本の「格差」を思い知った。
1945年8月14日のボストンの天気は晴れ。最高気温は30.5°だった。
ボストンから約225㎞(新幹線の駅で言えば、東京-掛川くらい)離れた丘陵地帯にあるタングルウッド。
この日は気持ちのいい、夏の一日だったのだろうか・・・?
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