【キャリアサマリ追記】2022年3月7日と3月9日を迎える心境と10年前の自分の約束と10年後の自分に向けて
多分、今日という日のことをこの先の人生も思い出す1日となる。そんな何かをスタートした1日になればいいと思っており、過去の人生でも明確に日付を思い出せて、ターニングポイントとなった日がある。
つまり、今日、順調にいけば、子育て支援事業家としても、ずっとやりたかった新規事業をスタートする1日であり、また、日本にベビーテックを浸透させる小さいけど大きな一歩となる1日であり、また、個人的には2013年3月9日に結婚をしてから、9周年となりまもなく10周年、すなわち40歳へのカウントダウンが始まるタイミングでもある。
後25分、長文駄文となるイメージしかないから、時間がない方でこの文書に出会った人のために、要約文はここで記載しておこうと思う。お時間ある方は、飲み物片手に眺めてもらえればくらいのトーンで文章は残しておく
サマリー
「babycare+(ベビケアプラス)」という「子育てに安心を」をコンセプトとした新規サービスをリリースにあたり、これまでの考えをまとめ。
社会人になる前のインターン時代からカウントして約20年間、ずっと同じ事を形や表現を変えて実現したかったことの一つである
良い機会だから、ざっと20年間を振り返ってみる
人生は浮き沈みがあり、良い時も悪い時も、過去の2回のメンタルダウンも初めて文章にしておこうと思う
これから1年後、そして、10年後はこうなっておくと宣言をする
1年後:ファミリーウェディングを挙げる
10年後:ベビーテックに関する書籍を執筆して日本にベビーテックが当たり前に浸透している状態にする
ここからは小見出し含めて、起承転結とは言わないが、書いていく
1、起 -今の価値観、実現したい未来のイマ
生きる意味とどうやって死にたいか
40歳も近くなると、日々「何のために生きているのか」、すなわち、「死ぬ時にどんなふうに死にたいか」を考える瞬間が増えた気がしている。
僕は、何となく毎日生きているとか、目の前のことに一つ一つ向き合っているだけでは、全く人生に張りや生きがいを感じ難い性質であり、他人からどう見えているか、また、何も実現できてない中で言うのは恥ずかしさも一定あるが、それでも、いつも実現したい未来や映像が頭の中にあり、それを達成した瞬間に圧倒的にアドレナインや喜びを感じるタイプだ。
これは、最近初めて受けたコーチングセッションで導いてもらって、自分の中にあった感覚を、まだまだ荒いけど言語化したものでもある。
やりたい何かに向かって生きているこのプロセス・過程そのものが、僕に幸せの体験であり、人生100年時代とはいえ、100年で全くやりたい事が実現できる気もしていないので、結果的には不完全燃焼で人生はどこかで終わることになるのは間違いない。でも、その過程で、死ぬときは前のめりで死にたいし、その姿勢が誰かの礎になれば本望だ。
自分以外の誰かを変えれるなんて毛頭思ってないけど、僕は他人のそういうチャレンジする姿勢に多分に影響をうけて、小さな変化を日々自分の中に感じており、それらを行動に起こして思考を変えて、経験にして、習慣にして、また次の行動の糧にしてきているから、本当に小さくても誰かの為になっていれば本当にそれだけが喜びでもある。
ペイフォワードのような考え方がキーワードとしてはしっくりきていて、人は一人では生きられず、社会の中で僕と言う役割、家族の中で僕と言う役割(家族は社会の最小単位でもあるという持論)、会社の中で僕と言う役割、すなわち、人生はロールプレイングゲームなんだから、その役割を自分で見つけて複数のコミュニティでそれらを実現して、「自分で選択できる機会をいかにたくさん持てるか」を意識することも、幸せのバロメーターとなっている。
最近は本当に充実して働けている感覚がある。
子育て支援事業家とやりたい事業と世界観について
僕は子育てに関する事業をライフワークとして生きる事をだいぶ前に決めており、今回の人生はそれを軸にいろんな選択を楽しんで、偶発的な出会いやキャリアも予期しながら生きている。
言葉を変えながら、実家の原体験もありながら、自分に子どもを授かってこともありながら、色々変化はしているが、多分根幹にある価値観や信念は大きく変化していないような気もしている。それは複雑なようで変化を大事にする自分の価値観と一見、矛盾もするが、変わらないもの・変わるものの取捨選択をする中で、いいことでもあると思っている。
複利を大事に生きており、専門性と網羅性。軸があったほうが、人から見た時にも短時間で深くコミュニケーションを取りやすい。あの人を表す代名詞やタグラインって何だろうと言うことを、多分人は意識的・無意識的にやっていると思うので、その意味で僕は子育て事業をしている、最近はベビーテックという事をよく発信する人、みたいなブランディングをしているんだと思う。
※もちろん、人は多面的であり一面では測れないし、僕も子育て支援事業家以外にもやりたい事、やっている事、A面B面の側面があることを楽しんでいたりもする
結婚9周年を間も無く迎えて、この10年間と次の10年に向けて
この備忘録をnoteに公開しようとしたきっかけでもあるが、毎年3月9日の結婚記念日に写真を撮影している。想い出の力は本当に偉大だ、僕は結婚式を挙げる事を強く推奨している派でもあり、一人でも二人でも家族でも写真を撮影しておくことは本当に意味がある。その写真を、スマートフォンやApple Watchや家の額縁などでも目に見えるところに飾っておく事で、日々の生きている意味を思い出すきっかけや目指す未来に向けて、何のためにやっているのかを思い出すトリガーにもなるので、様々なルーティンや工夫をここでも取り入れている。
その一環で、目指す事とこれまでの歴史をnoteに公開しようと思って、自己宣言の力をここでもトライアルしようとしている所存である。
2.承 -これまでのキャリア、20年間をざっとメモ
前置きも長くなったが、ざっくりこれまでの歴史を振り買ってみようと思う。こんなふうに雑にやらなくても、自分のキャリアの棚卸しや学び、出会いを振り返ることは、この先の人生の双六を進める上でも意味があると感じているので、興味がある人はお勧めする。勿論、興味がない人はそのままの人生の延長戦上で幸せである可能性が高いので、お勧めもする気はない。
Part1:2004-2005年(20-22歳):インターンと就活時期:
結婚出産育児をトータルでブランディングするサービス
大学のアントレプレナーシップの探求の秋澤ゼミの話
学生時代の4つのインターンシップ、特にゼイヴェルが学び深かった
ゼクシィに行きたかった就職活動
その次の就活の話:フォーバルのアントレプレナー採用、3年で3000万出資もらえる未来を選ばなかった理由
Part2:2005-2009年(22-26歳):1社目アルバイトタイムス
学生時代の根拠なき自信を速攻で崩してくれた多々の失敗経験
飛び込み営業とテレアポ漬けの望み通りの日々で怖いものなくなった
3年目から本社へ異動。仕事の基礎学んだパート1
リーマンショックでパートナー企業との差
グロービスで学ぶ
早期退職制度に2番目に手を上げる
IT企業へ転職を進める
Part3:2010-2012年(27-29歳):2社目サイバード
がむしゃらに吸収時期。何でもトライしまくった
リスティングもSNSも運用型広告は手を動かしまくった
売ってから作った,今考えるとすごい時代。仕事の基礎学んだパート2
BtoB事業の売却、、初めて売却されて組織が外部影響で変わる経験
出向先で広告事業の立ち上げ
初めてのヘッドハンティング
Part4:2012-2016年(29-33歳):3社目みんなのウェディング
いよいよ子育て支援事業へ
広告事業の立ち上げ→新規事業へ
自身の結婚、10年後に再度ファミリーウェディングへ
みんなのファミリーウェディング事業の立上げ
一生の仲間とたくさん出会えた時期
IPOとその後のハードシングス
クックパッドグループジョイン
長女爆誕、7ヶ月の育休へ
独立(1回目へ)
Part5:2016年(33歳):家業と社団法人立ち上げと苦悩の時期
初めての育児に頑張りすぎて育児ノイローゼ
キャリアが見えない初めての経験
朝5時に起きて絶望する日々
自分を立て直す時期
Part6:2016-2018年(33-35歳):4社目Speee
やりたい事より得意な事を選択
この人の下ならもう一度会社員をやっても人生に後悔はないと感じた直
2回目のアドネットワーク事業の立ち上げ(強くてコンティニュー)
再び人脈と視座が広がる
次女爆誕、2ヶ月の育休へ
ブランドハップンスタンス、誘われて再び子育て支援事業へ
Part7:2019年(36歳):5社目インタースペース
日本最大級のママメディアを活用する子育て支援事業を策定
社長室という傍らメディア事業部で保育サービスなど立ち上げる
『ベビーテック』への確信
再び独立へ
Part8:2020年(37歳):会社設立_株式会社BabyTech&Community
CES2020に無職で参加
海外のベビーテックトレンドを掴み日本に広げる方向性を決める
Xtech起業家合宿や前澤ファンドへの応募
コロナ禍での創業と事業推進の苦しみ
ファーストアセント社との出会い
Part9:2020年-2022年(37-39歳):株式会社ファーストアセント
未来は重なるという確信
エンジニアリングと僕の強みを掛け合わせる
最短最速でベビーテックを日本に広まる
未来を引き寄せる選択として、人生計画をリプラン
立ち上げてきたサービス達(⇦どこかで追記予定)
3.転 -苦しかった時期。今の幸せ
今、この瞬間に全力で働けている幸せを感じている。これまでの人生で、それがやりたくても、できなかった時期は確かにあって、その経験を忘れない。この章は改めて、加筆修正しようと思っているが、僕は身近な起業家の自己開示や、誰かの言葉にも勇気づけられてきた経験があるので、あまり参考にならない気もしつつ、2回のメンタルダウンも記載しておこうと思う。
1度目のメンタルダウン
最初の独立と子育ての悩み
頑張りすぎた育児との向き合い方
変化した家族コミュニケーション
家業と親との付き合い方
1度目の立ち直り方
環境を変えた
キャリアをゼロリセットする覚悟
やりたい事より得意な事を選択
1度目の変化の学び
確実に精神的にタフになった
2回目のアドネットワーク事業の立ち上げで強くてコンテニュー状態
そこで出来た人脈と学び
2度目のメンタルダウン
コロナ禍と環境変化の大きさ
アンコンフォタブルZONEへ
頭の理解と体の理解と心の理解は、全て異なる
2度目の立ち直り方
「明けない夜はない」という1度目の経験値
心療内科にも通ってメタ認知
親友には打ち明けられた成長
明確に立ち直るきっかけになる『日記習慣』
2度目の変化の学び
人はアンコンフォタブルZONEを乗り越えた時に圧倒的に成長する確信
事業領域や管掌領域も明確に広がった
ハードウェアスタートアップのハードシングスに触れた2-3年間
改めて死ぬまでに実現したい事が明確になり解像度が上がりきった
視座を高く足元を固める人生指標
起業家の端くれとしての矜持
時間価値は理解してても頑張れない瞬間はあった
焦らずいつかまた働けると信じてた時間
昔の上司の言葉『辛い時に踏ん張れる強さこそ、本当の強さや』が心にずっとある
人生は選択の連続、あの時こうしてたらのもしもボックスの話
自分がいる世界といない世界の差分の話
視座を高く足元を固める
1日は24時間で1週間は168時間の繰返し
継続は力なり、複利の力を信じる
人の能力にはそんな差がないという開き直りの話
人は今見えてる世界でしか夢を語れない
腹減ってる状態では世界平和は祈れない
僕が見えてる世界は誰がが見えてる世界の視座とは違う話
孫正義はどう考えるか?
大塚英樹ならどう考えてる?(⇦所属していた企業の社長であり、ここでは尊敬の念を含めて固有名詞的に記載)
北斗神拳水影心の話
今の僕を支える小さな矜持
毎日の日記
数多くのルーティンをトライ&エラー
人間の活動限界に常に挑戦する心意気
活動MAXまで毎日をやりきって気絶するようの眠る日々
睡眠と健康と効率化の臨界点へ
39歳をやりきった時に40歳で見えている世界の期待と視座の高さ
4.結 -目指す世界と1年後と10年後
結果的に、、30分では執筆しきれず、ここまで45分くらい。本当は各項目ごとに全て学びや小ネタを追加したいと思ってたが、時間がある時にやっていこうと思う。要点は、以下だ。すべての恋愛小説が「愛している」の一文を伝えたいが為に、長文を綴るように、僕も結局はこれからの宣言を一言したいがために、これまでの歴史や考えを持ち出しているのだと、書きながら感じている
エフィカシー
自分を信じる力
全ては対比であり両面であり揺り戻しの世界を僕らは生きている
自己実現と社会貢献
具体と抽象
没頭と俯瞰
冷静と情熱
自己肯定と自己否定
仕事と家族
1年後の世界
40代を迎えてる自分
ベビーテックがどこまで広がってるか
10年前のファミリーウェディングを挙げる約束を果たす
10年後の世界
40代を終えてる自分
ベビーテックが広がってる日本
海外にチャレンジしてる状態
未来や社会に貢献している状態
長女16歳、次女が14歳の世界
FIn
近いうち、大幅加筆や修正をします、たぶん、しらんけど。
千葉祐大