「がんばる」ってストレス
アッサロウムアレイクン
日本のみなさま、こんにちは。
ウズベキスタン滞在歴半年のナタです。
今回は「がんばることを毛嫌いする私」について書かせていただきます。
「がんばる」ってなに?
私は「がんばること」が苦手な(めんどくさい)人間です。
「がんばる」の最上級(と思われる)の「努力」なんて避けて通りたいと常に思っています(笑)。
結果として高校受験も大学受験もTOEICも勉強せずに受けるので結果は散々です(笑)。
大学受験の時、「東京のA大学に入れますか?」と担任の先生に質問したら、「頑張れば受かるよ」と言われ、『頑張らないといけない』と瞬時に理解したので、その場で諦めました(笑)。
「頑張れば痩せる」とか、「継続は力なり」なんて私にとってはストレスで、常に3日坊主です(笑)。
特に受験勉強の時は「頑張って何になるの?」って思いを強く疑問に思いながら、頭に入ってこない教科書の文字を読んでいました(笑)。
「夢が叶う=がんばった」は違う。
私の夢は「海外で働くこと」です。
高校生の時に決意し、ネットで「海外で働ける職業」を調べていました。
当時、まだまだネットに情報が少なく(調べ方が下手だった)、「英語が上手」と書かれている職業が多く掲載されていました。
努力が嫌いな私は、「海外で働くなんて無理」と思っていたそんな時に、「日本語教師」を見つけました。
「この職業だったら私でも海外で働けそう」と思った(だいぶ失礼な)私は日本語教師について徹底的に調べました。
大学に「日本語教員養成課程」がある大学を調べ、大学に入ってからは「日本語教育」関連のボランティアに多く参加しました。
「日本語教師」は新卒採用がなかなかありません。
私は卒業してすぐ「日本語教師」になりたかったので卒業した年の5月から就職活動を始めました。
「就職活動」と言ってもこれといったことはしていません。SPUや自己分析、面接練習など、めんどくさいことはせず、ひたすら求人広告を見てました。
ご縁もあり、就職活動をして3ヶ月後、今の会社で働かせていただくようになりました。そしてその2ヶ月後、ウズベキスタンという海外で働かせていただきました。
この過程において、私は「努力した」「がんばった」と思うことはしていません。
気をつけていたことは、「海外で日本語教師として働く」ということをブレずにもっていたこと。
「日本語教師」になるために積極的に日本語ボランティアに参加していたこと。
これぐらいしかしていません。
そこにタイミングが乗っかってきた。それだけです。
「夢を叶えるために努力をしなければならない」というわけではないと思います。
だから、「頑張らなきゃ」「努力しなきゃ」と呪文のように言い聞かせないでください。
タイミングが夢(結果)を叶えてくれることもあります。
誘惑はつきもの
課程科目は5コマ目、6コマ目に講義が入っています。「日本語教員養成課程」も例外ではありません。
だから、友人たちは遊んで、私は講義。私の専攻、私の代で「日本語教師」を目指す同志はいなかったため、専攻では私一人。その年で講義を受けた学生は5人でした(泣)。
正直言って大学生活はたくさん遊びたかったです(笑)。
でも、私は「日本語教師」になりたくて大学に入学したので、「ぼっちでもかまわん」と思い、誘惑に勝ちました(笑)。
「がんばること」が悪いわけじゃない
「がんばること」について嫌いな理由、「がんばらなくても夢は叶う」と書いてきましたが、決して「がんばること」が悪いことではないです。
アスリートなんて「がんばる」の代表だと思います。「がんばった」から、日本代表に選ばれて、上位にも入賞できて、「頑張ればすごい人間になれる」と教えてくれます。
社長になる人も、店長になる人も、一流企業に就職できた人も「がんばった」からその対価で大きいんだと私は思っています。
ただ 私にはその「がんばる」が合わないだけで、合わないものに合わせるとストレスになってしまうんです。
だから、私の記事を読んで、「納得いかない人」は「頑張れる人」で、「わかるわぁ」と思った人は「頑張ることが苦手な人」だと思います。
一つ注告をすると、私のようにはならないことをお勧めします(笑)。
私が夢を叶えられたのは「タイミング」が助けてくれたことなので、参考にはならないと思います。
いかがだったでしょうか、「がんばる」って口では簡単に言えますけど、実際は本当に大変なんですよね。
今回は「こういう人もいるんだ」という程度で理解してくれたらいいなと思って書かせていただきました。
閲覧ありがとうございまいた。
ヤクシダモリ
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