【作品紹介】週末か〜文フリ京都
文フリ。
今週か〜〜準備しなきゃな〜〜と思ってダラダラ用意を始めたら一瞬で終わった。意外と用意するものは少ない。1冊しか出さないからか?
『自由・孤独・ケーキドーナツ』という短編集を作りました。A6文庫判です。手に取ってもらえたら、嬉しいな〜〜〜〜〜〜〜〜。
ぐで〜っとしながらこの記事を書いている。色々考えることがあって、書き物の作業が手につかない。さっき、印刷物を用意して、プリントのためにコンビニまで歩いて向かった。歩きながらも、形のないことをぐだぐだ考えていた。と、突然、ぴかーーっと頭が冴える感覚があった。そっかーー……、そうだよなぁ。避けていた結論に、避けようもなく相対してしまったのだ。決断だよ、決断。覚悟と決断、それが本当の人生だよ。そういうことを真顔で言いたいから小説を書いている。
こんなことを書くつもりはなかった。作品紹介だよ。『自由・孤独・ケーキドーナツ』には10編の短編小説が収録されているが、その中の一つ『お祈りグループワーク』の感想文を書こうと思う。感想を読んで気になったら、ぜひ本編を見に来てください。
エブリスタに小説をあげたときに、新作セレクションというのに取り上げてもらって、色々な人に見てもらえた。ラッキー!
二年前、会話劇が書きたいと思って作った話。文の調子ではなく、構成の力でコメディにしたかった。改めて読んでみて、まあ、少しはできているかと評価することにした。
登場する五人の就活生は、みんな高学歴で、話の通じるいいヤツらだ。世の中の大人がみんなこんな感じだったら……。願っても仕方のないことだが、多分いつまでも私は願い続ける。彼らの「弱いところ」が、実益を追求する社会・仕事の荒波に揉まれ、削られ、「タフ」な大人になっていくその過程を思うと、ただただやるせない。それに抗うべきとも思わない。ただやるせないのである。だから、物語を通して彼らが、タフネスとは別軸の「強さ」を手に入れることができたなら、それは喜ばしいことではないだろうか。誰にとって?
名前の話をすると、主人公以外の四人は特徴的な、というか変な名前だ。由来がある。シーモア、バディ、フラニー、ズーイ。「分かる人には分かる」になってしまうが、サリンジャー文学に登場するグラス一家である。名前を取ったことに深い意味はないが、『フラニーとズーイ』は私の「バイブル」であり、つまり大切ということだけ言えればよい。『ズーイ』の最後を読めば、私が不出来な作品をほったらかして解説なんか書いている場合じゃないことがよく分かる。サリンジャーは自作に解説を付けることを許さなかった。
以上は『自由・孤独・ケーキドーナツ』のあとがきに載せた文章だが、書きながらやっぱり一枚、鎧を脱げないでいた。イベント直前なので少し脱ぐ。この短編の最も重要な描写は、終盤のこの文章。
ここまで、ここまでが今の私が脱いでも大丈夫なライン。これを手掛かりに、私の小説を真剣に読んでみたりすると、多分おもしろいです。
脳が疲れて文が思いつかなくなってきたので、ここまで。なーんか、へとへとだなぁ……。