閉ざした心
なんでも一人でやろうとしたら、人に頼む事や頼む方法を忘れてしまった。頼みたいことを言葉にする事を我慢したり、一人で抱え込むクセがついたら、いつの間にか想いが胸に詰まっていた。
生きれば生きるほど口に出せない傷をいっぱい抱えてごまかしてウソをついた。ウソをついてまで何を守ろうとしたのか。自分を守るために何を拒絶してきたのか。人を守るために自分の何を拒絶してきたのか。
自分を押し殺している苦痛に気づきたくないから、不安定なところにいるほうが安心できた。
ひとりじゃないからひとりになりたくなるし、本当にひとりぼっちだったら誰でもいいからそばにいてほしいと思う時だってある…
自立ってなんだろう?
人に迷惑をかけないって事なのか?人に認められるようになる事なのか?なんでも一人でできるようになる事なのか?しかし、自分で出来る事が増えるほど自由がなくなり、自立を目指していたはずが、孤立に向かっていた。
誰もわかってくれないし、助けてくれない。そうしているうちに思考も極端になり、自分の思い通りにならないことを社会や人のせいにするようになり、ますます自分の気持ちをごまかす行動ばかり増えて心が貧しくなっていった。曇らせてはいけないのは目ではなく心だった…
そんな日々から2年が経った…自立とは自分でできることもできないことも人に頼む事ができることだとわかってきた。
社会はうつくしい。そのままでも醜くても…不完全でも…動くことはそれ自体がうつくしい。揺らぐからうつくしい。だから安心してそこに出てきてほしい。世界の見方は自分自身が更新するのだ。
あまねく他人とともにもっと目を凝らしていろんなものを見ていこうと思う。もっと安心してちゃんと傷ついていこうと思った。
傷ついても傷つけてもいいんだ。身体よりも心の方が本当はもっと柔軟で強いものなのだ。人と正直に関わることを恐れない。きっとそこからだ。絶望したあとにしか生まれない希望がきっとある。
2015 4/11