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全体的な展望
薬物使用時の神秘体験と入院時の絶望と抵抗の彼岸に陥り、人生に諦めを感じるその瞬間に「無抵抗」と「不服従」の精神を固く誓った。自分の信念を見直すことで新たな人生の目的を見出そうと試みた。偶然現象の連続を奇蹟と受け取り、内界・外界の違いはあるが、『慈愛・自愛』という言葉の大切さを感じる機会がが与えられたと思う。
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自分の存在がとても小さくはかない存在で、とても弱いことを自覚した。きっとそんな体験をしなければ、今までのように、そう思う自分を真っ向から否定し、抵抗し、自己嫌悪や自己卑下の材料に変換し、自罰的な思考をし続けて自分を鍛え上げようとしていた。それも、恐怖から逃れたいがゆえの行動の表れだと感じる。
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自分の弱さを受け入れ、自分を大切にしないと他者や与えられたきっかけも大事にすることができない。何をするにしても、満足感や充実感はついて回る。私はまだ、自分が何を求めているのか、どういう時に幸せを感じるのか、わかっていない。
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対象と事物は、自分の心の投影だと分かっていても、そこに苦しむ。答えは無数に存在する。どの選択をするのか、それとも、選択しないことを選択するのか。その選択を「心の中に宿る神に委ねたい」と思うときがある。それほどまでに自分の欲求が恐ろしい。
2015 4/12
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復讐や処罰という考えそのものは、子供じみた夢想である。正確には復讐などというものはないのだ。復讐とは、無力であるときに無力であるが故に、したい行為なのである。だから無力感が取り除かれれば、すぐに、その欲望もまた消えてなくなるのだ。
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