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変化と成長

 集団生活の中ではどうしても他者との摩擦や衝突は避けられない。そうなることが悪いことなのか、そうならないことが良いことなのかと問われれば、どちらでもない。「自分だったらそうはしない」という状況を目の当たりにすると、見守ることができず、当事者以上にアツくなってしまうことが多かった。

 そのとき自分の中で相手が悪者になっていることに気が付く。正論を振りかざすのが得意なので、油断すると今でもやらかしてしまう。その行動について注意するだけでなく、なぜそのような行動をとるのかについて言及すると衝突になる。これは過去によく起きた問題だった。

 そういう場面では、相手に対し「いい加減にしてほしい」と思っていたが、逆に「良い加減を自分の中に見つけることができれば良かったんじゃないか?」と考えるきっかけになった。

 内なる自己と表面的な自己を隔てていたのは自信のなさと罪悪感であり、この囚われを解き放つ思考が、「自分を許す」という行為だった。

 罪悪感の根源は後ろめたさと他者との比較から生まれる。罪悪感を背負い続ける人生は困難であり、それをバネにして進むべき道を見つけるには限界があることを学んだ。 

2015 5/22


否定的、破壊的、攻撃的な知覚は、われわれの意識に否定的、破壊的、攻撃的な効果を与える。われわれが周囲の物質的世界を汚染するように、それはわれわれの心を汚染する。

そして、この精神の汚染は、われわれの生活に物質的汚染以上ではないにしても、同程度の強烈な影響を与える。

ピーター・ラッセル

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