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宣伝省と真理省(勧善懲悪と犯人探し本能)



オープニング

 「正義の味方」と「悪役」。私たちは幼い頃からこの単純な二項対立に慣れ親しんできました。しかし現実世界は、それほど単純ではありません。

 日常生活で何かうまくいかないことがあると、私たちは「誰か(社会)のせいだ!」と考えがちで、それは一時的な慰めにしかなりません。そんな二項対立や二者択一に潜む「思考の悪いクセ」を取り上げます。



勧善懲悪

 「勧善懲悪」という概念は、アニメや映画、特にスーパーヒーロー作品のストーリー展開に頻繁に用いられ、特に日本は、この分野で最も盛んな国といえます。善良な市民を守り、悪と戦うヒーローの物語は勧善懲悪の精神をあらわしているといえます。

怒り・恨みの正当化→正義
正しさ→対象が必要(外的要因)
良心→対象が自分(内的要因)

 勧善懲悪の考え方は一見わかりやすく魅力的に見えますが、物事を善と悪に単純化する傾向があり、現実社会の複雑さに対応できず、他罰的で社会の厳しさを加速させることになりかねません。



犯人探し本能

 犯人探し本能とは、問題が発生した際に単純な原因や責任者を特定しようとする人間の根深い傾向です。この本能は複雑な状況を単純化して、特定の人々や事象に原因を帰属させる傾向があり、勧善懲悪と似ています。

 そして、犯人探しをしているうちに他責思考が強くなり、失敗や問題の原因を他人や環境に求めます。特にSNSは、その傾向が色濃く出ていると思います。



他責思考

 「勧善懲悪」や「犯人探し本能」に共通する他責思考は、自分の責任を認めず、客観的な分析を困難にする可能性があり、状況の複雑さや「グレーゾーン」を無視してしまいます。

 また他責思考は、周囲との関係を悪化させるリスクがあり、相手を一方的に「悪」と決めつけることで、建設的な対話や関係構築を困難にする可能性があります。

 結論として他責思考は、単純化された思考パターン、責任転嫁のメカニズム、自己成長の阻害、客観的視点の欠如、人間関係への悪影響という点で問題点が多いです。

 それを煽る状況としては、SNS、責任感のない学者や政治家の発言、メディアの報道姿勢などが挙げられます。

 また情報過多は、脳の許容量を超えた情報にさらされることでストレスホルモンの分泌を増加させ、感情に悪影響を及ぼします。

 これは情報を「発信する側、意見を述べる側」だけでなく、「情報を受け取る側、意見を聞く側」どちらも「信用」と「責任」が求められる時代に突入しています。

 SNSは便利で有益なコミュニケーション ツールですが、使い方を誤ると深刻な問題があるケースが多々あります。建設的な対話を心がけましょう。

 ここで「宣伝(プロモーション)」を使って一般大衆をコントロールした実在の人物を紹介します。

現在につながる重要な内容なので、心を込めて書いていたら濃すぎる内容となってしましました。有料記事にしようかと思いましたが、多くの方に知ってもらいたい内容と状況なので無料にします。リンク先は有料記事ですが、「現代のマトリックス」になっている重要な問題を扱っています。興味のある方はぜひご一読ください。



ヨーゼフ・ゲッベルス

 パウル・ヨーゼフ・ゲッベルスは1897年10月29日、ドイツ帝国プロイセン王国ライン州に生まれたドイツの政治家で、ナチ党に入党後、急速に頭角を現し、ナチス政権下では国民啓蒙・宣伝大臣を務め、ナチスの思想を広めるための様々なプロパガンダ活動を展開しました。

 ゲッベルスは博士号を持つインテリとして知られ、ナチスの地盤を固めるためにナチスのプロパガンダを積極的に広め、勢力拡大に貢献しています。

 第二次世界大戦敗北の直前、ヒトラーの遺書により、ドイツ国首相に任命されますが、自らの意志で背き、ヒトラーの後を追って家族を殺害後に自殺しています。

 ゲッベルスの国民啓蒙・宣伝省の役割について、「精神面での国防省と同じ仕事」と位置づけ、国民の精神的動員と武装化を目指しました。

 宣伝省はナチスの権力掌握が進むにつれ規模が拡大し、国家の文化、経済、その他あらゆる宣伝活動に関与するようになりました。

 具体的には、宣伝映画の制作やニュース映画の内容に指示を出し、芸術全般にも介入し、独特な無調音楽やジャズ、抽象絵画などを排除しました。

 国民啓蒙・宣伝省は、1939年には約2000人員を抱え、1944年の年間予算は1億8700万ライヒスマルクを達成し、「宣伝(洗脳)」に多額の人員と費用を投入していることがわかります。



国民啓蒙・宣伝省

 国民啓蒙・宣伝省によるプロパガンダは、多様なメディアと戦略を駆使した柔軟なアプローチを特徴とし、プロパガンダの焦点を主に「感情」に合わせています。主な戦略は以下のとおりです。

感情に従う手法の重視
大衆の感情的な表世界事象を利用
知性よりも情緒的な感受性を狙う
単純な二分法(敵か味方か等)の使用

多様なメディアの活用と集団化
書籍、新聞、ラジオ、映画
公共集会、学校教育、行進、団体活動(ヒトラーユーゲントなど)

繰り返しと単純化
テーマや標語の絞り込み
シンプルなメッセージの繰り返し
手間を省いた大まかな主張の繰り返し

対象に対する正当化
外敵とユダヤ人の偏見を強調
ユダヤ人差別の正当化
東欧ドイツ系住民の民族意識刺激
ドイツの要求の正当性のアピール

中央集権的な管理
ゲッベルス指揮下一元管理
あらゆるメディアを通じたメッセージの検閲
全国的な宣伝活動の指揮
虚偽情報の戦略的使用
事実の歪曲や捏造、都合の悪い情報の隠蔽
焚書による情報統制

シンボルとイメージの活用
ナチスのシンボル(鉤十字など)の普及
指導者崇拝(ヒトラー)の推進、神格化

 ナチスはこうした手法を通じて、社会のあらゆる側面にプロパガンダを浸透させ、国民の思考と行動をコントロールしようとしました。

 これはまさにメディアをフル活用した「国民の洗脳」であり、この傾向は現代社会でも続いています。

 次に「国民啓蒙・宣伝省」をオマージュしたジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984年」に登場する「真理省」について取り上げます。



真理省

 真理省は、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』に登場する全体主義国家「オセアニア」の主要な政府機関の一つです。

 真理省は過去の記録や統計を常に改竄し、党の方針に合わせて歴史を書き換えています。これにより「現在の状況は常に最善である」という印象を国民に与えています。真理省の仕事は以下のとおりです。

プロパガンダの発信
報道、娯楽、教育、芸術などを通じて、党に有利な情報や思想を広める。

言語の操作
「ニュースピーク」と呼ばれる新しい言語を開発し、反体制的な思考を不可能にしようと試みる。

監視と統制
「テレスクリーン」を通じて国民を常時監視し、反体制派を摘発。

二重思考の促進
矛盾する二つの信念を組み合わせて受け入れさせる「二重思考」を奨励し、批判的な思考を抑制。

感情操作
「2分間憎悪」のようなイベントを通じて、国民の感情を操作し、党への忠誠心を示す。

 これらの手法により、真理省は国民の思考と行動を徹底的に管理し、党の権力基盤を支えます。真理省の名称自体が皮肉であり、実際には「真理を歪める」ことがその主な役割となっています。



監視社会

 国民啓蒙・宣伝省と真理省の類似点を抽出すると、現代社会がAIなどのテクノロジーを活用した「監視社会」に向かっていることがわかります。

情報統制と情報改ざん
宣伝省や真理省は過去の記録や統計を常に改ざんしていますが、現代でもSNSやメディアを通じた情報操作や「フェイクニュース」の拡散が問題となっています。

言語の操作
真理省が「ニュースピーク」を開発したように、現代でも政治的に正しい言葉遣いや婉曲表現の使用が増加し、思考や表現の幅を狭めています。「聞き慣れない横文字」や努力義務、積極的平和主義などの「造語」がそうです。

監視ツール
真理省はテレスクリーンで国民を監視していましたが、現代ではスマートフォンやSNS、監視カメラなどを通じて個人情報が収集され、プライバシーの侵害が懸念されています。

プロパガンダ
真理省が行っていた大規模なプロパガンダは、現代のマスメディアや政府の広報活動にも類似点が見られます。

感情操作
「2分間憎悪」のような感情操作は、現代のメディアや政治キャンペーンに類似した手法が見られます。Xの無料動画投稿が「2分20秒」までに設定されているのも「これ」に該当する気がします。

歴史改ざん
真理省が行っていた歴史の改竄は、現代でも教科書問題や歴史修正主義として議論されることがあります。

二重思考
矛盾する信念を受け入れている「二重思考」は、現代の政治や経済の場面でも見られる傾向があります。ここは重要なので後述します。

 これらの類似点は、現代社会が直面している情報管理、プライバシー、メディアリテラシーなどの問題を浮き彫りにしています。私たちは今、世界中で繰り広げられている「サイバー戦争」の真っ只中にいます。

 また学校は「規律訓練装置」としての側面を持ち、生徒の身体と時間を管理しながら「個人」を形成し、社会秩序を維持する機能を行い、教育機関としてではなく、より広範な社会的国家構造の一部となっています。ここから「洗脳」が始まります。

 監視社会の傾向はミシェル・フーコーを中心に↓の記事でまとめているので、興味のある方は、有料記事ですがご一読ください。

 最後に現代社会の情報操作やプロパガンダの手法を理解する上でも重要な視点となる概念について深掘りします。



二重思考

 先述のように、二重思考はジョージ・オーウェルの小説『1984年』で登場した概念で、矛盾する2つの考えを同時に受け入れ、信じる思考法です。

 言いかえると、情報や人物などに「違和感」を感じつつも、あとで自分で納得する理由を考えてしまうことをいいます。

過去を支配する者は未来まで支配する
現在を支配する者は過去まで支配する

 支配者(統治者)が過去を改ざんし続けている理由は、市民が過去と現在を比べることを防ぐために行います。

 恋人関係において、「お互い自由を尊重したい」と言いつつ、相手の予定や人間関係に口を出したり、「束縛はよくない」と思っているのに、LINEの返信が遅くて不安になるなど、表面上の理想と実際の行動が矛盾する状態を許容する際にあらわれます。

 一般社会では、現実よりも政府が与えている政策が正しいことを保証しなければいけない国民は、政権与党の主張や政党が作った記録を信じなければならず、矛盾を見つけても改ざんを見抜かないようにし、改ざんに気づいても「二重思考」で自分の記憶を改変します。

 つまり、国家体制や秩序を守るために自分にウソをつくor自分が納得する理由(言い訳)を考えることで二重思考に陥ります。

古代の専制者は命じた「汝、するなかれと」
全体主義者は命じた「汝、すべしと」
我々は命じる「汝、かくなりと」

 かつての専制国家は市民に対し、様々なことを禁止しました。近代のソ連や中国共産党、ナチス・ドイツなどは市民に理想(共産・優生思想)を押し付けました。

 そして戦後の日本は、グローバリスト(宣教師)の策略によって、日本の経済活動は資本主義によって支えられていますが、同時に共産主義思想を与えられていることで「ねじれ」が生じ、時間と労働力の搾取が現在も続いています。

 エーリッヒ・フロムは、ナチズム・日本軍国主義が台頭していた1941年の著書『自由からの逃走』で、孤独と無力感にさいなまれた大衆が他者との関係、指導者との関係を求めて「全体主義」を信奉することになると記しています。

 まさに日本は、同調圧力に屈しやすい国民気質と一党独裁的な権威主義を誇示する政権与党と経団連や医師会などの既得権益団体による圧力により、戦前の全体主義に回帰しようとしています。つまり、既定路線ということ。

 「二重思考」につながる「自我」の世界は、↓の記事でまとめています。無料部分で確認できるので、ぜひご一読ください。有料部分ではフェルディナン・ド・ソシュールについて取り上げています。



エンディング

 歴史は過去の出来事の記録ではなく、私たちが未来を築くための貴重な知恵の宝庫です。歴史を学ぶことで、過去の人々がどのような困難に耐え、どのように乗り越えてきたかを知ることができます。

 歴史を学ぶ本当の意味は、社会システムの複雑さを理解することにあります。社会は様々な要素が複雑に絡み合った「複雑系」で成り立っています。

 歴史を学ぶことで、この複雑な社会システムをより深く洞察し、現代社会の課題に対して、より正しい判断を下すことができるようになります。つまり、世界の現状を踏まえた危機感を持つことが自分自身の「変革の始まり」となります。

 歴史的な変革期には明確な出来事が起きていました。これは現代の変革期においても同様に重要な出来事が起こることを示唆しています。歴史は、新しいアイデアや制度を柔軟に取り入れることの重要性を教えてくれます。

 以上のように歴史を学ぶことは、過去の出来事や知識を学ぶだけでなく、現在と未来の社会をより良く形成するための重要な手段となり、世界がどのように変化し続けていくかを理解できます。

 これらの経験は、私たちが直面する問題に対処するための貴重な知恵となり、将来の変化を予測し、自らの将来を計画する助けとなります。

 自由意志と選択の自由は人間の本質的な欲求であり、真の充足に必要な要素。これらを尊重し、適切に取り入れる制度や環境を構築することが、個人の幸福と社会の健全な発展につながるでしょう。

思考は、こうもずるく、こうも利巧であり、それで自分の便宜のために、あらゆる物事を歪曲する。

思考は楽しみへの自分の要求の中で自体の束縛をもたらす。

思考は私たちの関係すべてに二元性を生み育てるものである。

私たちの中に暴力がある。また、平和への欲望、親切で優しくありたいとの欲望もある。

これが私たちの生すべてにおいて、いつの時も進んでいることである。

思考は私たちの中にこの二元性を、この矛盾を生み育てるだけではない。

それはまた、私たちが楽しみと痛みについての無数の記憶を蓄積する。

そしてこれらの記憶から、それが生まれ変わる。だから思考は過去である。思考はいつも古い。

ジッドゥ・クリシュナムルティ

私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷