知識と経験の発酵作業
老子 第三十三章
現代語訳
他の選択肢があったのに、なぜ薬物依存症回復施設で集団生活を送ることを選んだのかというと、私は他者の欺瞞や社会の矛盾をいち早く捉えることができるという長所を持つ独特の感性のために常にストレスを感じていることが多いのですが、その反面、自分自身が社会や他者と同じ矛盾を持ちうることを理解したり受け入れたりすることができず、薬物を使用して自分を誤魔化し続けたという過去があります。
他者との交流を通じてのみ人は変われると確信し、集団生活を通じて積極的に自分を変えたいという思いが原動力になっていました。
慣れ親しんだ過去の思考パターンを変えるプロセスは、常に苦痛と困難を伴います。しかし、ここに法則が生まれやすいことにも気づきました。
当時、私は薬物をやめようと決めていましたが、その過程で酒とタバコもやめるとは思ってもみなかったです。やめたら自分が自分でなくなる、楽しみがなくなる、「やめたら負け」とさえ思っていました。
しかし、いったんやめてしまえば薬物や酒、タバコに費やしていたお金や思考、労力を有益なものに使うようになり、より快適でより自分らしい生き方へと導いてくれました。
さらに、集団生活を通して自分の行動をチェックするようになってからは、自分自身に貼った「見栄」や「レッテル」が、生き苦しさに直結していることを理解するようになりました。
精神的に追い詰められているときの思考パターンや口グセに気づき、頭の中で言いかえることによって、生活改善する仲間も多かったです。
自分を理解してくれる相手がいない、あるいは理解するのが難しい場合は、日記を書くのも効果的で、書くときによく使う単語や言い回しもクセが出ます。
散歩も気分転換だけでなく、日常生活にわずかな変化を加える有効な手段であり、思考に行き詰まりを感じ、ぼーっと歩いている時に突然インスプレーションが湧いてくる時も多々ありました。
人生を一所懸命生きるというより、常に自分の死を意識して生活していたので、価値観や信念に固執するクセがありました。
これらの信念を見直すことも重要な要素でした。そのことに気づいたのは、サイバー空間で「あるメッセージ」を目にしたときでした。
自分にできる努力をしながら、素直にしなやかに生きること。自然の流れを見つめて生きることが大切で、心のどこかで「自分の流れの中で生きたい」という強い思いが湧き上がっていました。
努力が報われないと自暴自棄になるパターンは、過去の私のクセであり、私に必要なのは努力が報われるまで努力し続けることでした。
「ない」と思っている限り、そこにあるものを見つけることはできません。在るものが「ない」ことに理由をつけているのは、自分自身なのだと気づき、自分の殻を破る良い機会になりました。
私の人生、みなさまの良心で成り立っております。私に「工作費」ではなく、「生活費」をご支援ください🥷