お前にサンが救えるか
もののけ姫でモロ(怖くてでかい山犬)が放つ、かの有名なセリフがある。
「お前にサンが救えるか」
美輪さんの迫りくる声が蘇ってくる人も多いと思う。
そもそもこの言葉はモロがアシタカに言ったものなのだが、ではこの問にアシタカがどう答えたか知っている人はどれくらいいるのだろうか。
森や、森に住む山犬から襲われることを恐れ、人間が生贄にした赤子がサンであった。サンは人間の都合で人間に捨てられ、山犬に育てられた人間なのである。そのサンが自らを捨て、自分達の生きる場所(森)を奪おうとする人間を憎み、しかし同時に山犬として育てられ毎日を生き抜いて来たといえ自分は人間で山犬にはなりきれないという葛藤…その狭間で生きるサンをお前は救ってやれるのかとモロは聞いているのだ。
アシタカの答えはこうだ。
「わからぬ。だが、共に生きることはできる」
わからぬ。だが、共に生きることはできる、、だと!!!!?!なんて、なんて答えなんだ…誠実で嘘がなくてそして愛と覚悟に溢れていると思った。これは、躁鬱である人がパートナーや親友から言われたら一番嬉しい言葉なのではないかと。
私は嬉しい。こんな風に配偶者が思っててくれたらいいなとつい思ってしまう。
ここでモロに「私が救おう!!」とか言わないのがめちゃめちゃいいなと思ったんです。サンを躁鬱にさせてごめんだけど(常にあんなに動けてるから躁鬱ではないと思います。でも心に傷は抱えてると思う。な。)、たとえ一生の愛を誓った配偶者でも、ものすごく大事に想っていても、躁鬱の人を救うことができるパートナーってほぼ居ないと思うんです。それは愛が足りないとか相性がうんぬんとかじゃなくて、単純に医者じゃないから。カウンセラーじゃないから。てか医者でもカウンセラーでも悲しいかななかなか救えないのがこの躁鬱だから。つまり、我々躁鬱のほうも救ってくれとは思ってなくて(そりゃ救って貰えるなら貰いたいなって願望はゼロにはなってないけど、でも)ただ一緒にいて欲しい。離れないでほしい。こんなめちゃくちゃな私だけど、こんなに迷惑をかける私だけど、ずっと側に居てほしい…(なんせこの躁鬱というのは友達、知人をどんどん失くしていき人間関係を維持するのが難しいのがデフォなので)という強い思いがあるのです。(躁で別れたくなったりもしますが(笑)ごめん。)
だからアシタカは百点満点、いや、あれを即答できた時点で二億点加算くらいで差し上げたいものなのです。
あれこそ愛ですよ。それを彼女の母(モロ)にド直球で聞かれて、躊躇うことなく真正面から打ち返せるアシタカ…
これはモロ、安心したでしょうね。『見直したぜ、この小僧』くらいには思ったんじゃないでしょうか。実際は鼻でフンッて笑ってましたけどね(たしか)。あれ照れ隠しですよ。びっくらこいたんだと思います。あまりにも素晴らしい、言い返す言葉もないくらいに完璧な回答だったので。
さて、物語は終盤。森のシシガミサマの首が撃ち抜かれ、盗まれ、森が死に、そして首が森に戻り、森に緑が戻りました。(早っ)
そこでアシタカは最後、サンに言うんです。「そなたは森で、私はタタラバ(鉄とか鉄砲作ってたエボシサマの町です)で生きよう」と。
うわーーーん(号泣)
アッシーわかってるううぅう
アシタカは「一緒に暮らそう。タタラバで(または森で)共に暮らそう。」とは言わないんです。もう…これは全女子が惚れてまうわ。
『それぞれ、自分が生きやすい場所で、居心地のいい所で生きていこう。でも、あなたのことをいつも想っているし、いつでも会いに行くし、来たくなったら来ていいんだよ。』ってことだと思ったんです。森で生きてきたサンにとってたとえアシタカのことが大好きで信用してて一緒にいたくてもずっと生きてきた場所を世界をいきなり変えるのってとても大変なことだと思うんです。ましてや自分が生まれてからずっと憎んできた生物がうじゃうじゃいる場所ですから。アシタカはそれを分かっていて、そして人間のアシタカが森で暮らすのも難しいし、サンが良くても他の動物は居心地が悪いかもしれない。そういったことを全て配慮し加味したのが「サンは森で、私はタタラバで生きよう」なんだと思いました。
でも森とタタラバで生きていこうね☆バイバイッ!!ではなくて、場所は違えどいつも互いに想い、いつでも好きな時に会おう、そんなお互いに無理のない一番心地よく共に生きようってことなんじゃないかなと思ってえらく感動したのを覚えています。
疲れてきたのでもののけ愛はこの辺で。
ジーンと染み渡るものがあってひとりで見てよかったなぁと思ったのでした。