セーフティーネットとしてのプリパラ

 皆さんはじめまして、馬場馬蛮(ばばんばばん)と申します。

 これからは主に漫画やアニメ、映画などの自分なりの考察をお届けしていきたいと思います。尚、私は学生で文筆業を生業としていませんし、莫大な量の作品を見てきたわけではないので、ただの「1ファンの感想」と思っていただけたら幸いです。

 では今回取り上げる作品は、タイトルにある通り、アニメ「プリパラ」です。放送から7年経とうする現在でも根強い人気を持つ本作、今回は「プリパラは‘女の子’の為のセーフティーネットではないのか?」という点で話をしていきたいと思います。

(1)プリパラはただのテーマパークなのか?
 女の子達の憧れの場所プリパラ。アニメ作品内では、ある一定年齢になると女の子にプリチケと呼ばれるチケット、入場券がどこからとなく渡され、そのチケットをさへ有れば女の子は「プリパラ」でアイドルを始めることができます。
 彼女達はこのプリパラ内でアイドルとして活動し、仲間との友情を育みます。プリパラ内では他にもブランド店やカフェテリアが登場し、さながら「夢の国」のようです。
 では、この輝かしいプリパラはただのテーマパークなのでしょうか?ただ女の子がアイドルをし、楽しく友達と遊ぶ為の場所なのでしょうか?今回はいくつかの点から「プリパラはある象徴として機能している」ということを論じていきたいと思います。

(2)‘象徴’としてのプリパラ

①レオナ・ウェストから見るプリパラ
 私はプリパラという作品を語る際に、ある一人のキャラクターに注目する必要があると考えます。そのキャラクターとはレオナ・ウェストです。
 レオナはユニット、「ドレッシングパフェ」のメンバーであり、主人公真中らぁらのユニット、「そらみスマイル」のライバル的キャラクターです。ピンクの髪が特徴的であり、全体的にキャラクターの個性が強い本作において比較的おとなしいキャラクターです。初登場の際は双子のドロシーと共に登場し、所謂双子コーデのようなコーデも特徴的でした。しかし、このレオナというキャラクターにはそれ以上に重要な唯一無二の特徴があります。それが「男の子」であるということです。
 昨今、ジェンダーの問題が更に注目され、近年では「Hugっと!プリキュア」で男の子のプリキュアが登場したことも話題となりました。プリキュアが2018年であるのに対し、こちらのプリパラは2014年と4年も早く「女児向け作品の中に男の子のキャラクターを登場」させました。
 しかし、この二作品にはある違いがあります。プリキュアが男の子のプリキュアを登場させるまで、思春期の身体の成長や外面と内面の乖離など、ジェンダーの問題を深く描いていたのに対し、このプリパラのレオナというキャラクターにはプリパラに迎合するでの深い悩みや葛藤などは描かれていません。主人公達が男の子であることに驚く場面はありますが、それが「普通のこと」としてサラッと流されます。
 前述した通り、プリパラは女の子のためのテーマパークとして描かれています。しかし、この「女の子」とは「身体的」ではなく「内面的」に女の子であればいいのです。レオナは勿論、本作では学校の校長先生や主人公の母親もアイドルてして活動します。これは全体的にギャグテイストとして進行する本作だからこそ違和感がなく受け入れられる点だとは思いますが、ここにプリパラのセーフティーネットとしての一つの機能があると考えます。
 現在の社会は昔に比べ男女差別や性的マイノリティに対する偏見などが少なくなっていると思います。しかし、まだはっきりと完全とは言い切れません。まだ女の子や女性、LGBTQの方は社会的には弱い立場に立たされています。この様な状況において、プリパラは社会的に弱い立場である‘女の子’達を受け入れる、セーフティーネットとして機能しているのではないかと考えます。

②競走なき世界から見るプリパラ
 また、プリパラにはそれまでのアイドルアニメとは異なる点があります。それは「アイドルを始める為の境界線が存在しない」という点です。
 前述した通り、プリパラでアイドルを始める為にはプリチケと呼ばれるチケットが必要なのですが、これは年齢的な境はあるものの、女の子なら誰でももらえることができます。それまでのアイドルアニメでは、アイドルを始めるためにオーディションに合格したり、有名アイドル学校に入学したりと「他者からの許可」「他者との競争」が描かれ、それを通過した者がアイドルとして活動することができました。しかし、本作ではそれがありません。つまり彼女達がアイドルを始めるには競争がないのです。
 昨今、大学が就職予備校と言われその体質が批判の的となることが多いですが、これは単に大学側の問題だけではないと考えます。社会が子供達、青年達に「より良い会社へ、そのためにより良い学歴を」という目標設定を課し、その為に子供達はテストや受験により他者との競争を意識して生活をすることになっています。そして、親は子供に多大な支援をし、それに応える様な「無言の圧」に子供達は晒されているのではないでしょうか。その様な競争時代に置いて、誰もがアイドルになることができ、誰からも許可が必要とされていないプリパラは、「競争社会に疲弊した子供達の精神的な逃避場所」としての役割を担っているのではないかと考えます。一応、作品内では神アイドルを目指し、その為にライブでライバルと競う場面があるのですが、それは「目標」であって、それを叶えられなかったとしてアイドルを辞める必要はありません。なんなら神アイドルを目指さなくてもいいのです。プリパラ内では変わらず楽しく過ごすことができます。ここに、現代の競争に疲れた子供達の精神的なセーフティーネットとしての機能があるのではないかと考えます。

(3)まとめ
 前述した通り、プリパラはただのテーマパークではなく、現実の問題からの逃避場所としてのセーフティーネットとして機能していると考察してきました。放送当時、子供達から絶大な指示を受け、女児向けアニメ界の絶対王者であったプリキュアを脅かすほどまでだった本作ですが、何故そこまで受け入れられたかというと、それは子供達がこのアニメの世界に浸ることで辛い現実から逃避できたからではないかと考えます。つまり作品内のセーフティーネットとしてのプリパラが、アニメを通して観る子供達の精神的な支えとなっていたのではないかということです。その点でも、プリパラはただのテーマパークではなく、現実においても社会的弱い立場の‘女の子’達の逃避場所として機能し、そのため絶大な支持を受けたのではないかと考察します。

【おわりに】
 ここまで読んでいただいた皆様、ご精読感謝します。とても稚拙で読みにくい文章であるとは思いますが、出来るだけ自分の考えをまとめてみました。文章内で他作品との比較を行いましたが、決してそれらの作品を晒しめるつもりはありません。どの作品も素晴らしいと考えています。ただ今回は比較することに意味があると考えましたので、御留意下さい。
 今後も色々な作品について語っていこうと思います。感想等、お聞かせ頂けたら幸いです。

・Twitterアカウント→ @babanbaban111

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