第一歩|#訪問体験記
はじめまして!通信制の大学に通う3年生のたくとと申します🙇♂️
昨年の9月19日と20日の2日間、『福島 浜通りの魅力発見!キャリア検討プログラム』に参加してきました。この記事ではその様子を、私自身の感想を交えながらお伝えします😊
イントロダクション
私は物心ついた頃から仙台で過ごし、小学校3年生のときに震災を経験しました。一人の被災者として、育った場所に何ができるのだろうと考え、復興支援に取り組むサークルに入ったり、被災した地域の伝承がテーマの演劇をやってみたり、自分なりにできる「復興への参画」をしてきたつもりです。
大学ではデザインの観点から主に建築を学んでいたのですが、進みたい道を見失ってしまい、休学をして「自分は何がしたいのか」という問いに対する答えを探し続けました。1年半自分を見つめ続けて、「地域に関わる仕事をしたい」、「復興に関わり続けたい」という結論に至りました。これを実現する上で一番力になれる場所、それこそが福島県の相双地域であり、地域おこし協力隊や復興支援員として移住を志すようになりました。
今回のプログラムでは、そういったことを念頭に置きながら、いくつか目標を立てて参加することにしました。
相双地域の町の様子や仕事を知る
相双地域で活躍する人と関わりを持つ
移住へ向けての第一歩にする
グラデーション
原ノ町駅に降り立ち、『よりみち』へ案内されると、昼食を取りながら自己紹介へ。この地域という場所に興味を持っている同年代の人がいて、しかも自分以上の熱量を持っていることに圧倒されてしまいました。
よりみちを出発して、“浜通りの大動脈”国道6号を南へ向かいます。震災以降、何度か相双地域を訪れていますが、旅行の途中で訪れたり、通過するだけだったりして、目的地とすることはなかったなと、ふと思いました。
流れる景色を見てみると、ロードサイドに道の駅や小さなショッピングセンターができていて、復興へ向けた動きが見えるところもあれば、何度通っても変わらない、復興どころか未だに13年前から時が止まったままの場所もあります。同じ「避難区域」だったところから、町ごとにグラデーションが生まれつつあることを目の当たりにしました。
ここで大切なのは、事実として復興のスピードが早い/遅い、住むのに便利/不便、町の雰囲気が明るい/暗いといった差異はありますが、それが必ずしも町の良し悪しにつながるわけではないということです。被害の受け方や現状が異なるように、目指すべき未来もその土地によって異なるからです。
そういった意味では、今は白と黒の間にただ色の濃淡があるだけのような状態ですが、これからそれぞれの町の「特徴」だったものが「個性」として彩られるようになっていくのではないでしょうか。
相双の人々はなぜ茨の道に挑むのか
地震と津波と原発事故。世界で唯一の複合災害を受けたこの場所で、あえてチャレンジをする企業があります。
富岡町にある『株式会社ふたば』。空間情報やコンサルタントの分野を専門としている企業でありながら、町内にぶどう畑を整備し、ワイナリーの開業を目指しています。
原発被災地での農業というのは決して簡単なことではありません。農業を始めること自体、とてつもない費用やマンパワーに加えて、知識や技術も要します。その上に除染が必要で、生産にこぎつけたとしても風評がつきまとい続けます。「茨の道」であるというのは言うまでもありません。
ではなぜそのようなことに挑んでいるのか。根底にあるのは地元・富岡に対する思いです。
ふたばは震災前から富岡を拠点に50年以上にわたって、地域に根付いた事業を続けてきた会社です。しかし津波と原発事故によって、本社は機能を失ってしまいました。富岡はその後6年間無人の町となり、社員も散り散りに避難したため、おおよそ半減してしまいました。それでも一か月後には、避難先の郡山市で事業を再開しました。社長は「全てを流されたことで、またやり直そうと考えられた」と当時の心境を語っていたそうです。
そういった経験を経て、50年後、100年後に地域の財産になる「復興のシンボル」を残したいという思いからぶどうの栽培が始まったとのことです。
こういったチャレンジは規模の大小こそ差はあれど、相双地域の各地で行われています。もちろんその主体は企業や行政に限りません。震災後、相双地域に移住した人は少なくなく、自治体によっては震災前から住んでいる人(避難先からの帰還者)の数を上回っているところもあります。
とはいえ、インフラがようやく整い始めた段階で不便な状況で、住宅の供給が追いついておらず、住むところがそもそもなく、ありつけたとしても家賃は高い、そして今もなお放射能という見えない脅威と隣り合わせで、さらにまた将来的に国から出ている多額の補助金が途絶えてしまったら…という懸念もあります。
「この状況をなんとかしたい」、「よりよい町にしたい」、という夢や希望を持って移住してくる人達のエネルギーはそれに決して負けていません。全国的に見ても、地域に対する熱意を強く持った人々が多く集まっている場所、それが現在の相双地域なのです。
「ビビッと」
震災後に移住された方のお一人に話を伺うことができました。原発事故により避難指示が出ていた12の市町村には、各自治体に一つ以上「まちづくり会社」が設置されていて、移住・定住の相談をすることができます。そのうち、富岡町のまちづくり会社『とみおかプラス』が運営しているのが『とみおかくらし情報館』です。
席について早々配られたのは、ちょっとやそっとの時間では読み切れないほどの量の資料。いや、移住を目指す私からしたら“宝の山”です。地域を存続させていく上で、移住者の呼び込みは死活問題です。そのため、他地域に比べ移住者や移住希望者向けの支援制度が手厚いのがこの地域の特徴です。
ただそれ以上に印象に残っているのが、町の雰囲気や説明してくださっている方自身の話です。これはインターネットで調べてもなかなか知り得ない情報で、「現地に行くこと」の大きな意義の一つでもあります。中でも印象的だったのは、その方がとみおかプラスで勤めることになった経緯の話です。
詳細は省きますが、一度相双地域で就職された後、家庭の都合があって先の見えない状況の中でこの仕事を見つけたそうです。そのときに決め手になったのは直感、ご本人の言葉を借りれば「ビビッときた」とのこと。直感が常に正解へと導いてくれるかというと、そうではないと思いますが、目標へ向かって行動するために大切なマインドなのではないでしょうか。
移住をする際の一般論として、「現地を下見するべし」というのはよく言われることで、それは移住した後のミスマッチをなくすためというのが大きな理由としてあります。それだけではなく、移住に対するモチベーションが上がる、移住後のつながりを事前に作っておけるといった効果もあるのだと感じました。
後日談ですが、この2日後に東京で移住に関するイベントがあり、早くも再会することになりました。そのときに私の顔を覚えていてくださり、本当に嬉しかったです!
相双地域の魅力とは?
今回のプログラムは、見学の時間以外も盛りだくさんの内容でした。宿泊はMYSHの社宅『MYSHハウス』を使わせてもらいました。ここでは浜通りを代表するB級グルメ『なみえ焼きそば』や『MYSH畑』で収穫された野菜などを囲んで、夕食兼交流会がありました!
この日は夕方まで緊張していて、なかなか同行しているメンバーの人と話すことができなかったのですが、なぜか相双地域に住んでいる人、関心を持っている人は皆、聞き上手で懐が深いのです。確かに今朝まで顔も名前も知らなかった人達のはずなのに、気づいたら長い時間を共にしてきたかのように、安心感を持って面と向かって話すことができました。
たくさんの人の知恵や心意気が、相双地域の今を支え、未来を作っていく。そう確信したのと同時に、自分もその一員でありたいと思いました。
そして忘れてはいけないのが「食」。2日目に訪れたのが、楢葉町にある『食楽処おらほや』です。町一番の人気店とのことで、ネギトロ丼とうどんのセットに、この店の名物である鳥からあげまで注文してしまいました💦肝心の味はその評判に偽りはなく絶品でした✨️ちなみに量がめちゃくちゃ多くて、最後の方は必死に喰らいつくようにして食べていました(笑)
まとめ
たった1泊2日ではありましたが、ここに書ききれない出来事もたくさんあり、非常に密度の高い時間を過ごすことができました。行程の最後に設けられたまとめの時間では、このように総括しました。
自分から行動を起こす積極性が、復興・まちづくりには不可欠!!
・町を見に行く、人に会いに行く大切さ
・人と人とのつながり
・周囲の人から得られる刺激
・地域のポジティブ/ネガティブな側面と、それでも地域を思う気持ち
・制度
どのように今の町を見ていて、どのような形で地域に貢献しているか、まちまちではありますが、お会いしたどの方からも自身が関わる地域や仕事に対する誇りが感じられました。最初はその姿に気圧されてしまいましたが、プログラムが終わる頃には、憧れを抱いていました。自分自身もそういった存在になれるように頑張りたいです!
また、最初に示した目標についても振り返っておきたいと思います。
相双地域の町の様子や仕事を知る
→複数の市や町を訪れることで、復興の状況や町の雰囲気を比較することができました。他の町も見て、最も自分に合った町を見つけたいです。相双地域で活躍する人と関わりを持つ
→もっと話を聞いてみたい、もっと関わってみたいという方と、継続的に会いに行けているのは、このプログラムのおかげだと思っています。移住へ向けての第一歩にする
→今、この記事を書いているときに、プログラムの当時より移住に向けて前進できていると手ごたえを感じています。
末筆にはなりましたが、今回のプログラムを企画してくださったMYSHの皆様、貴重な経験をさせてくださりありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします🙇♂️