流浪の番組 モヤモヤさまぁ~ず
さまぁ~ずがテレ東で毎週あやしい街を散歩する番組、「モヤモヤさまぁ~ず2」が9回目の枠移動(!)で毎週土曜昼に放送されることになるそうです。
8回放送時間を変更したという番組自体聞いたことがありませんが、それによりこの番組の細くて長い歴史と、時間を変更しても視聴者が離れない根強い人気を見せつけられた気がします。
放送開始が2007年1月で、なんと16年も続いています。
私は確か一番最初の放送の途中でなぜか見始めて、それ以来だらだらと見たり見なかったりのまま今まで来ていて、大して観てはいませんが一応ファンと言えると思います。
観ていた方なら覚えていると思いますが、今回のために調べていて、最初の北新宿、急なハワイ、北シリーズ、謎の自動販売機、今ではあらゆる意味で不可能な大江アナへのセクハラなど、懐かしい内容を思い出しました。
放送時間の拡大と縮小、枠の変更、アナ交代とさまぁ~ずとの相性、明らかなマンネリ化、訪問先がモヤっていない問題、コロナで大変だったロケなど、思い出すといつ終わってもおかしくない印象しかありませんが、なぜか続いているのは不思議です。
現在の散歩系番組に何かの影響を確実に与えているこの番組ですが、その「モヤさま的」なものとは何か?一度言語化してみようと思います。
① 番組側のメタ視点がメインで街は脇役
旅番組、散歩番組は、当たり前ですが訪問先の場所の驚き、珍しさ、楽しさを視聴者の代わりに伝える番組です。
人が旅行に行く動機と同じで、日常生活から離れた貴重な場所や体験を紹介する限り、ネタさえあれば無限に続けることができます。
ただモヤさまは、登場人物の目線の先にある珍しい場所がメインではなく、「うがった見方」というひねくれた視点をメインに番組を作っています。
「北なんだよ…」という北赤羽かどこかの街のご老人のせりふが人気を博したのは、訪問先の北○○というさびれた街への郷愁や同情ではなく、言語化されていなかった北○○という場所が持つ謎の負のオーラを視聴者に提示した、番組側のユニークな視点が支持された結果だと思います。
そういったメタ視点のおかげで、観光や旅行に適さない街でも勝手に面白がればいいという今までにない番組構成が可能になり、むしろメジャーな街の方が番組的にはツッコミどころがなくてつまらないという逆転現象も起きていました。
② さまぁ~ずしか出せない空気感
あまりにキャリアが長いので忘れられがちですが、さまぁ~ずはコントとフリートークの天才です。
最近はさすがに減りましたが一時期は深夜のフリートークの番組といえばさまぁ~ずという印象もありましたし、テレビで人気がなかった若い頃からコントでは頭角を現していました。
何かのインタビューで、台本があるのはコントだけと言っているのを見たことがありますが、そうするとあれだけ多かったフリートークは本当にフリーで、ただの会話をあれだけ面白く、かつ長い間続けられるのは凄いです。
タモリ倶楽部も考えてみたら全く同じ構図ですが、タモリの好奇心と洞察と面白い一言で回っていたあの番組と同様に、モヤさまもさまぁ~ずのフリートークで、どうでもいい街とそこにいる一般の人そして普通のアナウンサーすら面白くしてしまうというのがこの番組の本質だと言えます。
ちなみに今の散歩番組は、タモリ(ブラタモリ)、有吉弘行(正直さんぽ)、高田純次(じゅん散歩)、出川哲郎(充電させてもらえませんか)、笑福亭鶴瓶(家族に乾杯)などベテランのお笑いの人が活躍していますが、モヤさまがその先陣を切ったと言えるのかもしれません。
モヤさま的今後の展開
ファンでありながらこういう言い方をするのは何ですが、もはやこの番組のピークはとっくに過ぎていて盛り返すのは難しそうであり、とはいえ停滞期にありがちなテコ入れと称する妙な試みをしてかえって寿命を縮めるくらいなら、何もしない方がありがたいという複雑な気持ちがあります。
そしてこうなると気になるのはさまぁ~ずの二人の年齢や健康といったコンディションの部分で、そういった意味でタモリ倶楽部の終盤と重なる部分が多いなと感じます。
ただ逆に良い点を探すとしたら、さまぁ~ずの空気感は一回きりの放送より好きな時に見れる配信、テレビよりTVerや有料コンテンツとの親和性が高い気がして、まだまだ支持を得られる可能性はあるんじゃないでしょうか。
コアなファンがいて、私のようにヒマなら見る好意的な人も多いと思うので、そういった支持を受けてこの変な番組がずっと地味に続いてほしいと思います。