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流行が少ない社会

2022年2月、現在の流行は何ですか?
と聞かれてすらすらと答えられる自信がありません。

流行語については、2021年はうっせえわ、親ガチャなどありましたが、コロナによって楽しめる言葉が少なくなってしまったのかなという気がします。

さて、平成時代は大きな流行がいくつもありました。流行語大賞を並べてみます。

1989 平成元 セクシャル・ハラスメント、オバタリアン
1990 平成2 ファジィ ちびまる子ちゃん
1991 平成3 「…じゃあ~りませんか」
1992 平成4 きんさん・ぎんさん
1993 平成5 Jリーグ

1994 平成6 「すったもんだがありました」、イチロー、「同情するならカネをくれ」
1995 平成7 無党派、NOMO、「がんばろうKOBE」
1996 平成8 「自分で自分をほめたい」、友愛/排除の論理、メークドラマ
1997 平成9 失楽園
1998 平成10 ハマの大魔神、「凡人・軍人・変人」、「だっちゅーの」

1999 平成11 雑草魂、ブッチホン、リベンジ
2000 平成12 「おっはー」、IT革命
2001 平成13 米百俵/聖域なき改革/恐れず怯まず捉われず/骨太の方針/ワイドショー内閣/改革の「痛み」
2002 平成14 タマちゃん、W杯(中津江村)
2003 平成15 毒まんじゅう、なんでだろう~、マニフェスト

2004 平成16 チョー気持ちいい
2005 平成17 小泉劇場、想定内(外)
2006 平成18 イナバウアー、品格
2007 平成19 (宮崎を)どげんかせんといかん、ハニカミ王子
2008 平成20 アラフォー、グ~!

2009 平成21 政権交代
2010 平成22 ゲゲゲの
2011 平成23 なでしこジャパン
2012 平成24 ワイルドだろぉ
2013 平成25 今でしょ!、お・も・て・な・し、じぇじぇじぇ、倍返し

2014 平成26 ダメよ~ダメダメ、集団的自衛権
2015 平成27 爆買い、トリプルスリー
2016 平成28 神ってる
2017 平成29 インスタ映え、忖度
2018 平成30 そだねー


忘れていた懐かしい言葉もあれば、発音するのが気恥ずかしいような言葉もありますが、いくつかの言葉はその後定着していて驚かされます。

「セクハラ」「リベンジ」「マニフェスト」「アラフォー」「爆買い」。

これらは流行語ではなくもう普通の言葉になった気がします。むしろこの大賞になっていたことが驚きで、昔から使っていると思っていたら意外とそうでもないんですね。


流行が弱くなっているのではないか

世間では、「流行」の強さが以前に比べ弱まっているような気がします。そういうのを追えない私にとっては喜ばしいことですが。

すでにメディアはテレビからネット中心へシフトしていて、ネットでのコンテンツ体験は基本リアルタイムではなく視聴方法もさまざまなので、同時に何かを見ること自体が少なくなっていると思います。

テレビを見る人が男性20代と女性10代で50%を切った。若い人やネットを使い倒している人には当然でも、テレビ業界ではまさかという衝撃だった。


特に若くて新しい流行を作る世代がSNSなどの小さなコミュニティで活動しているため、流行は散発的でゆっくりにしか拡がらない。

跳ねたとしても特定のグループのみの拡散にとどまり、その後口コミで徐々に拡がるので、「街が○○で一色です」という流行は発生しづらいように感じます。


ブームではなくロングテール

ロングテールとは、2004年にクリス・アンダーソンが提唱した理論です。

「多くの市場はごく一部のヒット作品(ヘッド部分)と、それに連なる圧倒的多数の不人気作品(テール部分)によって成り立ち、テール部分の売上はかつて無視されてきたが、IT技術の進化によりテール部分がヒット作品群に匹敵する巨大な市場となる」


流行が一過性の巨大な消費だとすると、IT技術によって、継続的な小さな消費の積み重ねがその一瞬の消費を上回るようになるというのは、もう2004年に予言されていたということになります。

グーグルなどの巨大IT企業はそのような新しい社会の理論を裏打ちにして、かつての巨大メディア企業をすべて倒してきています。

日本のテレビ系メディアはそれに気づけず、リアルタイム視聴時の広告という「ヘッド」部分のピーク消費を捉えることにこだわり続けたため「テール」部分を拾う仕組みを持たず、非常に厳しい状態となっています。

ついこの前もフジテレビが大幅な社員の早期退職に動いているというニュースが流れ、昭和後期のフジテレビの隆盛を見て楽しみ、仕事でも関わったことのある企業の今の状態を見て、大きな衝撃を受けました。

日本を代表するメディア企業が、先見性がなかったために苦しい状況にあるというのはとても残念に思います。


しかしもう一人の自分はこう考えています。

かつて日本中同じものを見てはしゃぎ、数の圧力でみんなと同じものを体験・購入・思考するのを良しとするような状況がありました。

決して一般的ではないが自分が好きなものを好きなように楽しもうとするだけで、「マニア・おたく」という当時の蔑称で呼ばれてしまうような昭和の日本では、そのような行為は心理的な障壁の非常に高い行為でした。

私はそれがとても苦手だったので、個人的には今の変化を歓迎していて、楽しめています。


[マガジン] 平成って何だったの? こちらからもぜひお読みください!

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