![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/133771706/rectangle_large_type_2_792c64003c40f1f1add50ff641a8f762.png?width=1200)
あれはいじめだったとアカデミー賞を見て気づく
私は一時期ベンチャー企業に勤務していたことがありました。
そこにはその業界では有名な役員が何人もいて、私はある程度年齢が行っていたのでそうでもなかったですが、そういった人に憧れて入社してくる若い社員が多い場所でした。
そして実際にその有名な人々には実力があり、華やかな仕事を次々と獲得し業界内での賞も得て、キラキラしていました。
そしていわゆるシンパ的な社員が常に彼らを取り囲んでいました。
ただそこで私は今思い返せば非常に悲しい出来事に遭遇しました。
それは、私がそこにいるのにいないかのように扱われ、まるで空気のような存在にされたことがあるということです。
もちろんそんなことはせず普通に接する人も何人もいました。
しかし特に、先ほどの有名人シンパの人々は、私が無名で誰だか分からないのをいいことに、まるでそこにいないかのように振舞っていました。
それを思い出したきっかけ
先日、アカデミー賞の授賞式で、アジア人をあからさまに無視した人が画面に映ってひと騒ぎになりました。
ロバート・ダウニー・Jr氏は確かにキー・ホイ・クァン氏(ベトナム系の昨年の同賞受賞者)をいないかのように無視してすぐにスピーチを開始しました。
私は最初何も気づきませんでしたが、少し間をおいて、もう10年以上前にそういうことが自分にもあったなと徐々に思い出してきました。
そして、あーこれが被害者の心境というものなんだと非常に納得しました。
非難を浴びせられるのでも、物理的に何かをされるのでもなく、ただただいないものとして扱われる悲しさ。
そしてそういった扱いを何の気もなく自然としてしまうような、その人のそれまでの空虚な生き方や考え方。
むしろ差別的な言動を意図的に外に向ける人の方が、良いとは決して言えませんが、ある意味とても分かりやすいのは確かです。
少なくともその人は自分がしている罪を自覚していますし、周囲からも即反応や反論があり、もしそこにいたらあらかじめ自衛することもできます。
しかし、ロバート・ダウニー・Jr氏のように本当に何も考えずただ空気のように無視する人の方がある意味悪質なのではと私は思います。
悪が顕在化しないまま時間が過ぎてしまい、よりそれが悪化するからです。
ヨーロッパやアメリカ在住の人がXで「私もそういう目に遭っている」と発言しているのを見て、そういえば私を無視した人の多くに海外留学経験があったなと思い出し、隠された醜悪な白人社会の力学を垣間見たような気がしました。
私に対してそういった振る舞いをした人が今どうしているのか、まったく分かりませんし興味もありませんが、それはいま私が10年以上経って未だにそのことを書きたくなるくらいの恨みを買うような悪事であり、彼らはきっと私以外にも差別的な視線を周囲に送ってきたはずです。
そしてそれにより被害者がまた何人も生まれ、人によってはそれがまた次のターゲットへの差別やいじめの連鎖を生んでいたでしょう。
少なくとも私は、有名人にコバンザメのようにすがりつき実力もないのに偉そうにしていたあの彼らが本当に嫌いですし、世間には彼らと同様に振舞う人がいますが総じて中身のないダメな人たちと認識していて、実際に彼らが独自に何かを成し遂げたという話は聞いたことがありません。
教訓的なことがあるとしたら
あと本当に思うのは、この問題はされた瞬間は何が起こったのか分からないし、そして長い間それについて考えさせられてしまうということです。
「あの無視は何だったんだろう?」から始まり、「気づかなかっただけじゃないか」と「悪意を持って無視された」の間をぐるぐる回り、ある程度証拠がそろって初めて「あれは自分に向けた無視といういじめだったんだ」と気づきます。
でもそう確信した頃にはもう当事者はいなくなっていて、このモヤっとした気持ちはどこにもぶつけられません。
なので仕方なくここに書きました。
そして当然ですが、自分も加害者になっていた瞬間が絶対にないかと言われたらそんなことはなく、どこかで同じような無視を誰かに対してしていた恐れはあります。
覚えていませんが長い人生なのできっとどこかであったでしょう。
そうなるとこれは、被害を受けたかどうか分からない段階で「無視すんなよ」と本人または周囲が言うしかない問題だと思います。
なので今回SNSで非難の声が上がったのは間違いなく良いことです。
逆にそれを否定し、被害者自身が訴えるべきだとか、あれが無視かどうかは本人同士しか分からないとか、無視される方にも問題があるといった考え方は、この問題の仕組みを知らない無責任な発言か、加害者が保身のためにあえて反論しているかのどちらかです。
そしてそういった発言をセカンドレイプと呼びます。
幸い私はそんな被害を受けたことがあるとは言えもうかなり前なので冷静に発言できていますが、ほとんどの被害者はそうではないと思うので、無視やいじめやその他、被害者が言い出しづらい問題があったら、とにかく周囲が一度声を上げるだけでも救われる人がかなりいると思います。
この記事もそういった役割を果たす一助となればうれしいです。
[この記事と同系統のおすすめ記事をご紹介] ぜひご覧ください!