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「オタク」のゲームチェンジ

Twitter(現X)を眺めていたところ、こんな話題が目に止まりました。

「オタク」って言葉が昔と今の辞書で意味合いが変わっている。

『岩波国語辞典』における「オタク」の語釈の変化
第七版2009年:「自分の狭い嗜好(しこう)的趣味の世界に閉じこもり、世間とはつき合いたがらない(暗い感じの)者。」

第八版2019年:「特定の趣味的分野を深く愛好し、人並み以上にその分野の知識や物品を保有・収集したり、行動したりする者。」

辞書に収録されるくらい世間に十分認知されているネガティブな言葉が、2009年からたった10年でポジティブに捉えられるようになったというのは非常に大きな変化です。

そういえば、1990年代後半に「エヴァンゲリオン」が流行った時それを普通の友達にいうのが憚られた記憶があり、かつては深夜のロボットアニメ=オタク=後ろめたいというイメージが普通だったと思い出しました。

それが、2005年に「電車男」が人気となり、その後AKBの曲が流行り始め、世間のオタクの価値観が確実に変わったと認識しました。

ただそれだけの大きな変化にもかかわらず、その逆転ポイントと時期が私にはすぐに思いつかず、今回はそれを探求してみようと思います。


1980~90年代


趣味に没頭するちょっと変わった内向的な人のことを、昭和の昔は「マニア」と呼んでいましたが、それが80年代の軽さや楽しさが大事な時代になるとオタク、ネクラなどと蔑まれるようになりました。

また80年代からビデオやLDで映像ソフトを楽しむ文化が発達し、アダルト向けアニメや少女への性的興味が高じて1989年に殺人事件が起きると社会的に激しい非難の対象となり、オタクへの圧力はより高まりました。

1990年にテレビに登場した「宅八郎」はパロディとしてオタクを揶揄し、オタクのパブリックイメージを決定づけました。

オウムのサリン事件が1995年にあり彼らもアニメなどのオタクだったようで、また先ほどのエヴァンゲリオンも同じ時期なので、この時点ではオタクのネガティブさは間違いなく昔と変わらない状況だったと思います。


1998年ごろ


しかしその後に、オタク的な価値観が良いものとして注目されるようになったポイントが必ずあるはずで、それを探してみたところ2つの注目すべき変化がありました。

そのひとつは、インターネットの急速な普及です。

インターネット利用率の推移

この記事のグラフから分かるように、1998年には10%台だったネットの普及率は、それからたった4年の2002年には60%に達し、人々のコミュニケーションのスタイルが大きく様変わりしました。

今から考えると1997年までは普及率が10%もなかったというのが信じられず、ネットがなかったら何したらいいんだろう?と考えてしまいます。

これによって携帯やパソコンを介した非公開なコミュニケーションが当たり前となり、個人の趣味や性癖、表には出しづらい顔でいられる場を多くの内向的な人が獲得できたのではないかと思います。


そしてもうひとつは、非正規雇用の増大です。

1998年から2003年の5年間で非正規雇用の増加が加速し、平成初期には2割だったのが平成の終わりには4割と倍増し、終身雇用が当たり前だった日本の常識が塗り替わりました。

高度成長期から続く日本の経済構造がバブル崩壊とアジア金融危機などによってついに限界を迎え、社会の安定に寄与していた正規雇用を担保できなくなったためです。

その頃から、もはやかなわない経済的な安定に向けて一生競争するのではなく、個人的な趣味や志向にこだわる人生のほうがむしろ正しいんじゃね?といった空気で世間が満たされ始めた気がします。


2003年ごろ


そういった個人主体の考えが広がっていく、世間の価値観の変化を象徴するような2つの流行がこの時期にありました。

そのひとつが、槇原敬之が提供したSMAPの「世界に一つだけの花」です。

一番にならなくていい、ひとりひとり違う、争わなくていい、No.1よりオンリーワン、といったキーワードが並ぶこの曲がカラオケランキングで2年連続1位となり、多くの人が明らかにこの価値観に同調していました。

オタクとは個人の好みにひたすらこだわる行為と言え、90年代まではそれが得体の知れない反社会的行為とすら受け取られていたのが、この時代にはオンリーワンとして称賛されるまでに変わりました。


もうひとつは「千と千尋の神隠し」です。

鬼滅の刃が記録的ヒットとなるまで、20年近くこの映画が日本の映画史上最高の興行収入でした。

ただこの映画はテーマが少々難解で、私の推測になりますが、主人公の千尋が働いていた油屋やカオナシと呼ばれる存在は経済成長を第一とした社会とその中で心をなくした人々を表していて、迷走する社会の中で自分を見失わずにいられた千尋はその世界から逃げ出すことができたのだと思います。

つまりその当時の社会の価値観には従わず自分自身を持ち続けることが大事というメッセージで、SMAPの曲が伝えたかったことと何か重なると感じるのは私だけではないと思います。

社会の転換点が来たんだよ、自分自身で次に進むしかないんだよ、という宮崎監督ならではの警告だったのかもしれません。


現在における扱い


私の考えでは、2003年ごろに社会の風向きの大きな変化を人々が受け入れ、そこから少しずつ価値観の変化が表向きにも起きはじめたと思います。

その後2008年のリーマンショック時に、日本の輸出型経済が大ダメージを受ける中、落ち込む個人消費を支える形でオタク型消費が堅調に伸び、そこからオタクの存在は明らかに社会にプラスと捉えられるようになりました。

そこまで来てようやく、オフィシャルな国語辞典で「オタク」が良いものとして記録されるに至った、というのが今回の私の見解です。




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