消せないデジタルタトゥーと失敗できない子供
みなさんは昔の記憶がフラッシュバックして悶絶することはありますか。
私はあります。
なんであの時彼女にあんなひどいこと言っちゃったんだろう?
なんでレポートの最後にあんな適当な思い付きを書いちゃったんだろう?
みたいな。
そしていまだに学生時代の夢を見るのは、決まって「テストの前日に勉強を一切やってなかったことにふと気づく」という内容です。
学生時代、手違いである科目の成績を抹消されそうになったトラウマがあり、それは誤解が解けて大丈夫でしたが、それがおそらく形を変えて夢に出て来るんだと思います。
でも私は、そういった昔の失敗の数々が「今」じゃなくて本当に良かったと思います。
その理由は、当時はSNSやデジタルメディアがなかったからです。
あんな失言、こんな失敗、未熟でバカだから起こしてしまったあの事件も、私の脳には今でもはっきりと焼き付いていますが、当事者以外は誰も知りません。
そしてきっとその当事者も忘れているはずです(願望)。
そのおかげで、そんな悶絶の際もぎりぎり理性を保つことができます。
「これは自分の頭の中だけの問題で誰も覚えてないから大丈夫」と。
人の本能に逆らうデジタルタトゥー
デジタルメディアやSNSが本格的に日常生活に入り込んできたのは2000年代以降です。
80年代にはパソコンやテレビゲームなどのデジタル機器が普及し始めていましたが、ネットワークがなかったので個人の道具にすぎませんでした。
その後1990年代後半にインターネットが爆発的に普及し、パソコン、携帯電話、スマホとツールが高度化し、人の記憶容量を超えるデータをネットワーク内に保持し流通できるようになりました。
当時のことをよく覚えていますが、とにかく「人間を超える能力を獲得」「産業革命に次ぐ革命」といった礼賛の嵐で、実際私も、昔なら素人にはできなかった作業がコンピュータ1台あればできてしまうことに感動し、それを仕事や趣味などに活用していました。
でも当時なぜ誰も気づかなかったのかは分かりませんが、人の能力をはるかに超えた記憶能力やネットワークを介した伝播能力は、人間に恩恵だけでなく激しいダメージを与えてしまうと今は認識されるようになりました。
そのひとつがデジタルタトゥーです。
回転する寿司を指でつついた子供、コンビニのアイスボックスに入ったりおでんを食べて吐き出した青年、ネットに裸をさらして稼ぐ女性、自身の悪事の証拠をSNSで思わずつぶやいてしまった芸能人など、多くの場合、若くて思慮のない時期には結構無神経でアホな失敗をしがちです。
そして今はそれがデータとして残り、忘れられることがありません。
彼らはなんでそんなアホな失敗を、自らデジタルという消えない世界に記録してしまうのか?という疑問がありますが、その理由は、「人間は忘れる動物なのでネットの記憶もそのうち消える」と考えているからではないでしょうか。
そんな彼らの浅い考えを知識不足と笑っても構いませんが、「忘れられることがない」という、人の本能とまったく異なる特性のツールは、非常に危険で取扱注意なものと考えなければいけないと私は思います。
気軽に失敗できないという不幸
「忘れる」という一見弱点と思われる脳の機能が非常に役に立つ場面はしばしばあります。
子育てをしていると小さい子が急に成長するスピードの速さに驚かされることが多いですが、あれはまさに脳の記憶より変化を優先する子供の本能ではないかと思います。
どれだけ言っても全然できなかったことが次の日の朝には何事もなかったかのように出来ている、という子供によくある状況は、生物が、記憶という一貫性を捨てて成長という変化を選択し続けているひとつの証拠と言えます。
また10代や20代前半でよくやってしまうような浅はかな失敗も、決して良くはないけれど自分も周囲もそのうち忘れてしまうからまあいいか、と許容されることが多いです。
でも今の子供は日常会話もSNS経由で行い、思い出もネット上に残し、出会いもアプリで行います。
それにより、人の持ついい加減さというデメリットを排除し行き違ったり間違えたりすることも減るという良い点が確実にあります。
もちろん貴重な思い出が消えてしまうこともありません。
ただし「忘れることがない」という本能に逆らう状態は、人に過去との一貫性を強要し、変化という成長の機会を逃す恐れがあります。
人間が生まれた時点ですでに完成品であれば過去との一貫性を問われても何も問題ありませんが、実際は20代になっても全然完成などできず、手痛い失敗や試行錯誤をしないと成長できない人がほとんどだと思います。
本当の意味でのデジタルネイティブ、つまり生まれながらにしてデジタル社会の中にいる世代が登場したのはつい最近ですが、彼らが「忘れる」という素晴らしい能力を失い一貫性の檻の中で生きざるを得なくなるとしたら、それはとても不幸だと思います。
例えば、「ネットサービスに記録の消去を求める自由」や「ネット上に本当に大事な記憶を残さない権利」といった、新しい常識が必要となっているのではないでしょうか。
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