複雑骨折が治らなくても
自分の身にふりかかったことを考えると、創作にドラマがあるとすれば悲劇ばかり、ただし他の人からみたら喜劇だらけかもしれない……と思った。
こんな経験ありませんか。
作った同人誌を友だちにプレゼントしたら、友だちが「この絵カワイイ」と誉めたのがゲスト執筆者の絵で、微妙な空気が流れた。
何か誉めようと思って、相手としては一番気に入った絵を教えてくれたのでしょうか……。
または、
特定のキャラがスキでよく書いていたら、友だちに、同じキャラをよく書く違う作家への愛を熱弁された。
友だちなので、私も書く人間だという意識が薄かったのでしょうか……。
もしくは、
小説につけた写真を誉められたが、フリーDLサイトからの借り物だった。
素敵な写真を選ぶ目を誉められたのかもしれない……。
悲しい😅
ヘボな書き手には、こういう「自覚せよ 己がレベルを いいかげん」的なことがもう無数に起こっていた。シャレにならない年数を書いているし……。
それでも私は何故書けるのか。どうして、心は折れないのか。
いやもうボッキボキに折れまくり🦴複雑骨折がクセになりすぎて、完治する暇もなく、前に進むにしても、這うのがやっと。
友だちが気遣えないほどの有り様だし、普通は応援してくれそうな家族さえ、機能不全ゆえ「最後の砦」といえるようなものにハナからなれない……どころか、貶すためのアップをし目をキラキラさせるのがわかっていたから、書いたものは見せないようになったし。
そしてヘボに自覚もあるから、鏡の中のケティ・モーリスにも誉められない。
(自覚があっても直せないからヘボ、とも言える……)
それでも書く理由、いろいろ考えた。
ケティ・モーリスは誉めないけれど、やめろとも言わない。これが一番かも。
書くのって、コロナ禍でも何ひとつ気にすることなく出来る、娯楽のひとつでもあるし。
ただ、だれにも評価して貰えなかったら、体のどこかの小骨がまた折れるんだろうけれども。誉めようと頑張ろうとするわけでもなくとも見て下さる、そういう方がごく少数、いらっしゃるようなので。
何より、自分で誉めることはできなくても、ずっと『スキ』ではある。
それから、他の誰かにも、やめろとは言われない。これもある。
家族に話したらいい加減言われるかもしれないし、育ちのおかげかどうも一種の病気だから、やめろと言われたら従ってしまうかもしれない。けれど、そこは内緒で続けようと思う。
あと、重要?なのが。
諦めなかったら、本当の意味での結果は先送りだから😀
今のいま、あれがダメでもこれがダメでも、最終的には死ぬまで分からないと思う。
楽器の習得だって同じ、時間のかかり方は人それぞれ。
もし百で死ぬとして、九十九で何かを成しえることがないとは、今のところ誰にも言えない。
よう思うのですが、ドラマは作品に有れば良い、主役は物語の中。
私小説は書かないので、自分は常に創作の脇役でありたい。
ただ、そう思った勢い余って、自分の人生ですら脇役になってしまいそうになるので、それは引きすぎかと思いますね。
何もしなくとも頑張らなくとも、手からかめはめ波が出なくとも、自分の人生の主役は自分。
それは忘れずにいたいです😇
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追記です。
いろいろあって、上に書いたように前向き(でもないか。)な気持ちになれないことは多い。(というか、これを書いている今がそう!)
自分が書くことを応援してくれる、と思っていた人が、なんだか(というよりは、そういう経験が多すぎて『やっぱり』)そうでもなかったと思い知ったりする近頃です。
ここnoteにもいつまで居られることになるか……。とりあえず、応募してみたコンテスト企画の結果が出るまでは居ようと思う。
振り返れば、童話の応募も締め切りに追いまくられているおかげで、続けれいられたのだと思う。とすれば、続ける真に一番良い方法は、とにかく書くことに追いまくられる、ということなのかも……。