《天地百郎》 承前
『とぐろを巻いて』 冒頭での悶々
高台の公園に佇み、天地百郎は考えを巡らせた。
ふとしたことで思わぬ行動に出るのはついているのだろうか、つ
かれているのだろうか。積み上げてきたものが妙な意味を帯び、つ
まらないことが重大な契機となりうるのだ。
つきはつねに定まらず、場合によっては変人扱いされかねない。
名演技と取りすましてみても、いずれそうでもないらしいことに気
づく。どう振る舞おうとずれやぶれを避けて通れないとわかったと
き、動きが加速されて芝居が芝居でなくなる。
はじめからそのつもりがなくとも、やっているうちだんだん変わ
っていくことはよくある。魔が差したとしか言いようのないときが
だれにでもあるだろう。そうであるなら、その不思議とうまくつき
あえるよう処したほうがいい。生身のからだを使いそれを成してく
れるのが演劇である。医学であっても政治であっても商売であって
も構わないが、いちばん迷惑がかからないのはこの形態だろう。気
が触れるのは確かに一つの達成なのだから。
この国には昔から化け物がいる。つい忘れてしまいそうな身振り
がなぜかつきを呼ぶ。喉をついて出てくる奇妙な言葉。ついに垣間
見た束の間の秘め事。次々とつきまとうのは姿かたちを変えたおの
れの影だろう。月の輝く夜、からだの赴くまま動きまわることがで
きたのは意志のせいだけでないはずだ。ひょっとしたら、あちこち
に潜むおまえのお陰かもしれない。
中腰の姿勢でしばらくじっとしていた。顔を上げると、明け方か
らちらちら見やっていたマンションのカーテンが揺れたように感じ
た。坂道の奥に立ち並ぶ建物群を見渡せ、彼女が住む最上階のベラ
ンダは天地百郎が立つ目の高さに近い。朝のまだ6時前であり、そ
のあと何の動きもないところを見ると気のせいだろう。業界人らし
く彼女の出勤は気まぐれで、都心のこの辺り一帯からして午前中は
静かなものだ。成り行きが変わったとしても天地百郎に引き返す気
はないが、やり直すことができたとしたらどうだろうか。だが昨夜
来、導かれるようにきてしまったからには動くに動けない。
朝の陽射しが左頬から首筋、そして左肩へとその領域をゆっくり
拡げていくのがわかる。はじめ太陽の光がその壁面をオレンジ色に
染めたけれども、風景全体がだんだん黄色く輝きだし、やがて白く
ぼんやりとしたありふれた景色となる。陽の暖かみを感じながら霞
がたつ季節であることを思い出し、街路灯に凭れかかり周囲を見ま
わした。すぐ横で三分咲きほどの桜が枝を垂らし、春を味わうべき
だと言い聞かせコートを脱いでみる。しかし、少々身震いを覚える
うえ腕にさげたコートが煩わしい。陽の当たるベンチに座る手もあ
るが、そんなことをしている場合でないはずで鼻をすすりつつ再び
コートを身にまとう。
とはいえ、いまやるべきことが思い当たらない。坂の途中を石畳
の路地へ折れると、車止めの先が急な階段となって下の道につなが
っている。このまま坂を道なりにくだっていっても同じ場所へ出る
が、どのみちまだここにいるほかないのだろう。そう思うとやはり
余裕をもつべきかもしれない。
天地百郎は、ため息をつきベンチへ向かった。