京太郎と推しと性別について
※まず最初に、今回は性別を扱った若干センシティブなお話になります。
価値観のアプデはしているつもりですが京太郎の偏見や世間との価値観のズレが生じている可能性があります。断定的な言い方を避けている場面も多々ありますので、その点はご了承ください。またあまりにひどいと感じた場合は読むのを中断するか、マシュマロ、リプ等でご感想をいだたければと思います。
性別について
今これを読んでいるあなたは普段から私のツイートを読んでいるフォロワーでしょうか?さもなければ初めましての方でしょうか。
もしフォロワーさんであれば、普段の私のツイートから私を「男」だと思っていますか?それとも「女」だと思っていますか?
「京太郎」という名前がペンネームであり本名でないことはおそらく多くの方が理解しているでしょうが、「太郎」という男の子に付けるような名前で活動する私をあなたはどう思っているのでしょうか。
最初の問の答えですが、京太郎は「クエスチョニング」という性別です。
LGBTQ、の「Q」です。
体は女、でも本当に私は女?男であるときもあるわ、みたいな、そういう性別です
面白いのが、日によって、季節によって、性別が変わるんです。昨日までものすごくスカートの気分で、髪をしっかりオシャレに仕上げ、可愛いふわふわぬいぐるみを見て超可愛い私これマジ欲しいーとか言っていた次の日には無性にズボンが履きたくなる。スカートなんて自分が履くものではないと感じ、自分の身なりに頓着するのが億劫になる。一人称が「俺、僕」の方がしっくりくる。
恵まれたことに高校ではスカートとズボン(スラックス)の選択が出来、更に恵まれたことにお母さんは「どっちも買っていいよ」とスカートもスラックスも買ってくれました。お母さんがどれくらい私について気付いているかはわかりません。この頃はまだクエスチョニングの自覚がなかったのでお母さん優しいまじありがとくらいにしか思っていませんでしたが、だんだんと自覚するにつれこの選択肢の重大さに気付きお母さんに土下座しようかと思いました。しませんでしたけど。
なので高校生の頃はその日の朝の性別で制服を決めて、よくわからない時はとりあえず体に合わせてスカートを履いていました。
「男」「女」の自分が日替わりで交代交代で出てきて、まるで二人いるかのような感じ。
もちろんクエスチョニングの人の全てがこうだとは言いません、少なくとも京太郎はこうです。
京太郎の本名は(晒すわけにはいきませんが)誰がどう見ても女の子だと分かるような愛らしい名前です。名前は親がくれたプレゼントであり、私も大変満足していますがなにかモヤッとすることがある。
その逃げ場として付けたペンネームが「京太郎」です。本名が女の子らしい名前なら、ペンネームくらい男っぽくていいじゃない。
京太郎の一人称が「京太郎」であることが多いのも、今女なのか男なのかわかりづらくするためでもあり、自分でも分かっていない時の救済措置でもあります。
京太郎と推しと…
さて。京太郎の性別の話を踏まえ、題名の回収に入ります。
「京太郎と推しと性別について」
最近ではどの界隈でも見かけますが、よく妄想というか、推しとの恋愛等の絡みについて語る人々を俗に「夢女子(「夢男子」も目立ちませんがいるそうです)」「リアコ」と呼びますね。
「同居してる〇〇にその服似合うねって言われた」とか「〇〇が『髪長い方が好き』っていうから髪切るのやめたわ」とか(適当です)、中には少し過激でオトナな男女の恋愛の話とか。
大体ですが、多くの場合女性の方は相手男性を「旦那さん、彼氏」として扱いますね。男性だと有名な言葉として相手女性を「俺の嫁」と言うなど。
もう若干古い考えかもしれませんが、多くは男⇄女の一方向ですね。
では京太郎は、男であり女です。
私は推しを、最愛の相手を恋愛的に、どう捉えればいい??
京太郎と推しと『性指向』
「性別」とは別に「性指向」と言う言葉を聞いたことはありますか?
性別が自分の性を決める言葉なら、性指向は恋愛対象の性を決める言葉です。
おそらくは多くの方が「異性愛者」「同性愛者」という言葉を聞いたことがあるかと思います。
では、加えて「無性愛者」「両性愛者」という概念も存在するのはご存じですか?
お手隙でしたらぜひやってみてくださいね。
京太郎は高校生の頃から定期的にこのサイトで性指向の確認をするのですが、何度やっても「両性愛者」になります(下画像)。正直、同じ人間であれば性別もクソも関係ないと思っております。
ちなみにこのテストの精度の程はよくわかりません。
ここからちょっとだけ、難しくてややこしい話になります。
京太郎は性別が「クエスチョニング(男でも女でもある、もしくはどちらでもない)」、性指向が「両性愛(男性も女性も好き!)」というオールラウンダーであります。
その上で、「男性をお嫁さんに迎えたい」と思っています。お嫁さんには子供を産んでもらいたいし、京太郎はお嫁さんを養うために毎日必死で働きたい。家に帰ったらお嫁さんと子供が待っていて、家事育児を2人で分担しながら幸せな家庭をつくりたい。
「男性のお嫁さん」に対して「旦那」として生きたい。
…混乱はしませんでしたか?京太郎が何をいっているか理解できましたか?
理解できなくても責めません。恐らくそういう方が多数だからです。
つまり、京太郎が夢的妄想をする際は「家に帰ったら○○が料理を作って待ってくれてる、こんな可愛いお嫁さんがいてくれて幸せ」みたいな感じになります。そこには「男性のお嫁さん」がいるのです。
京太郎にとってはこれはかなり普段通りの考えなのですが、ノーマルの人、異性愛の人から見るとやっぱり気持ち悪いんでしょうか?
最も危惧しているのが、ここです。女性が男性アイドルを旦那視しているのはかなり世間的に許されている。ただ、(戸籍上は)女性が男性をお嫁さん扱いするのは、やっぱり、許されない?
京太郎と推しと性別の問題のまとめ
結局京太郎が何を言いたいのかというと、「こういう性別、こういう性的指向で変わった性別役割を求めている人もいるよ」ってことです。
性別のボーダーレス化が叫ばれる昨今、夢オタクも多種多様であることを知ってもらいたいと思い今回の記事を作成しました。私だって夢的妄想ツイートはしたいんですよ。ただ、その内容が周りの人から多少かけ離れているから共感も賛同も得られないだろうし、私の絵が見たくて近づいてきている方々が逃げてしまうかもしれないし、もしかしたら燃やされる可能性もある。そうなると本当にしたい絵のことがまともにできない。ただ、やっていることは異性愛者の方々と同じなのに。普通の恋愛観の方々と変わらないのに。
そういうことが起きかねないから、表垢で妄想的なことを言うのは若干はばかっております。
正直な話、私と同じ性的指向、同じ恋愛観の人がいればいいなぁとも思っております。同じ性別、同じ性的指向の方、あんまり見かけないんだよな。
長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。また次回もよろしくお願いします。
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