ビーラボの宝・Maricoを語る①
早坂陵に続き、今回は我らが執行役員・Maricoについて。
黒板専科のビーラボを語る上でこの人は欠かせない。
う、、美しい!!!
吉野まり子その人である。
今回は本人によるプロフィールを語ってもらおう。
以下本人よりー
1964年寿司屋の3女として生を受ける
幼少から類まれな人懐こさを持ち、近所全般の汚水処理のおじちゃんに
お茶を飲みに家に上がれと誘っていた。
小学生より演劇一筋に活動し、高卒で(多分)大女優になると疑わずに単身上京。
すき焼き屋の女中、漫画家アシ、ラウンジレディ、レースクィーン、など苦労したにも関わらず、24歳のある日気がついたら救急病院のベッドで腹部に20針の縫合傷のまま奇跡的に目覚め、それ以降女優としての活動を断念。
失意のどん底の中、糊口を塞ぐため
デザイン事務所で働き始める。
その後地道に結婚出産育児などを経つつ、自身の仕事として「アヲハタ」「キユーピー」「医薬品会社」等々のグラフィックデザインをsohoでしてきたがあまりの長時間の束縛にやっと気づき、木曜日に発狂して仕事を完全にシャットアウト。
40歳過ぎで、天命を受け6件断られるも執念で
Starbucksにアルバイトとして入社。
幼い頃、汚水処理のおじちゃんと培ったコミュニケーション能力を発揮し
地元Starbucksの看板娘として長年君臨する。
老若男女からとにかくおもろいスタッフとしてモテまくり、さまざまな貢物を受け取る。
その中で
「泥付き葱30本一本勝負」
「手作りキムチ入り壷」
「毛皮のコート(ただしused)」
「マグロのブツ300g(真夏の暑い日・保冷剤無し)」
「ういろう50本」
「さつま揚げがとにかくショッパーにいっぱい」
など記憶にはっきり残る。
特筆すべき出来事としては、
在職中に「GAHAKU」と言う
オファリングボードクリエイター2期として全国17人集の1人に選出
され、そのオファリングボード技術を活かし『オファリングボード講座』『マーカーアート講座』を考案する(自身が楽をするために編み出した『絵筋トレ』も地味にウケている)
昔から天然とか視点が違うと言われてきたが
人と同じ目線でいられない偏屈なところを認識。
現在は細々とイントラ活動をするも
将来に向けての準備は着々。
献血愛が強く現在43回毎月記録更新中。
日本のYazemeenah Rossi に成れるべく日夜努力を積み重ねている。
ー以上、本人より。
前出の美しい写真からは中々想像もつかない内容である。
実に興味深い。
次回はサロンメンバーから見た視点なども踏まえ、さらにMaricoを深堀りしてみよう。
〜ビーラボの宝・Maricoを語る②に続く〜