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まどマギの映画延期になったし新作の予想する

前回の記事はこちらから

 

・ファウストとまどか☆マギカ

 前回は、まどか☆マギカの考察として、ファウストの復習をした。アニメ版のまどか☆マギカは、現代版ファウストと言って差し支えないほどの素晴らしい作品であったと未だに思う。特に、まどか☆マギカもファウストと同様に、デウスエクスマキナ的な結末で幕を閉じるが、ここでのまどかの役割が、スピノザの汎神論における神の概念と合致することも非常に納得のいく形であった。
 
 ファウストという作品の大きなテーマの一つとして、「キリスト教からの脱却」が挙げられる。前回のブログでの「マルテの家の庭」における汎神論の支持の暗喩をはじめ、旧約聖書のヨブ記を引用するような設定を取り入れつつも、信仰と救済の解釈は全く違ったものにしたことなど、第一部においてもキリスト教批判的なニュアンスは感じ取ることができた。そして、最も重要な点は、第二部の「古代のワルプルギスの夜」において向かう先が、古代ギリシャであるという点である。キリスト教以降、西洋の文化は、キリスト教的全体主義として機能することになる。しかし、宗教革命以降の、キリスト教の影響が絶対的ではなくなりつつあった19世紀において、キリスト教の代替としてゲーテはファウストを通し、より個人へと焦点を当てることを提案した。ファウストの包括的なテーマとして「人間の欲望と知識の探求」と紹介されることが多いが、これはあくまで「個人の欲望と個人の知識の探求」である。個人の先に全体があり、ここは古代ギリシャの考えと共通する点である。(アリストテレスついては、解釈が分かれるところだが、少なくとも共同体の時間的発展順序は個人 → 家庭 → 村落 → ポリス共同体としている)

・個人とは

 古代ギリシャへの回帰を図ったファウストにおける一連の流れを、「個人主義の潮流」として捉えた場合、次に来るのはニーチェだろう。ゲーテとニーチェの共通項として、ギリシャへの回帰が挙げられるだろう。ゲーテがファウスト第二部「古代のワルプルギスの夜」において、キリスト教以前に回帰することへの寓意として、ファウストを古代ギリシャへと旅をさせた。この古代ギリシャへの回帰は、ゲーテにとってキリスト教からの脱却の一つの解決策であった。同時に、ゲーテはスピノザの汎神論にも影響を受け、これをもう一つの解決策として採用した。これらの思想的探求を通じて、ゲーテは古代ギリシャを観照する試みを行った。 一方ニーチェは、古典文献学者を、古代ギリシャへの出発点とした。単に「哲学者」と形容されることが多いニーチェだが、本来は古典文献学者として、古代ギリシャの研究をしていた。ニーチェは古代ギリシャに没頭する一方で、自身の古代ギリシャ観が、文献学という一つの学問に収まるのか、という不安を抱えていた。この不安は、ニーチェが後に哲学者として独自の思想を展開していく契機となった。

・まどか☆マギカと実存主義

 叛逆の物語の偽街の子供たちが、「Gott ist tot(神は死んだ)」と叫ぶシーンがある。ここで改めて、まどか☆マギカとニーチェの関連性を匂わせているが、ファウストからニーチェまで踏み込むという試みは、より初期の段階であるアニメ版の時点で決まっていたように思われる。ほむらの時間遡行は永劫回帰から、ほむらの願いと苦悩は、ファウストの個人の欲望をより鮮明に描写するために、ニヒリズムや運命愛などの要素を織り交ぜたようにも思える。従って、暁美ほむらという人物にスポットを当てた叛逆の物語は、より実存主義的なストーリー構成となるのはごくごく自然のように思える。

・ワルプルギスの廻天の予想

 まずは迴天という言葉の意味から調べたい。Googleで調べると一番上に、「天下の形勢を一変させること。また、衰えた勢いをもり返すこと。」とある。この少ない情報と、叛逆の物語までのストーリーの流れを汲んで考えた場合、二つのパターンの考察をした。

 ひとつは、ニーチェ的な実存主義で繋ぐのではないかという予想。ファウスト二部におけるワルプルギスの夜が、古代ギリシャへの回帰を通してキリスト教からの脱却を表現しているとの考察を何度か書いたが、古代のギリシャ人のようにより強い自分を目指したのがニーチェの超人思想であった。このことから、ワルプルギスの夜(古代ギリシャ)が勢いを取り戻す=ニーチェの超人思想的な個人(おそらくほむら)が完成するストーリー。

 もうひとつは、実存主義の歴史をもう一つ進ませて、ハイデガー的な存在論や時間論をストーリーに落とし込むのではないかと予想。プラトン、アリストテレス以後に隠された「存在」の意味を問いただした「存在と時間」は、存在の意味を再構築することを図った著書である。存在の地平として時間を置くことにしたハイデガーだが、これはまどか☆マギカのテーマと非常に親和性がある。実存主義の流れを考えても非常にスムーズに思えるが、テーマが難しくなりすぎるか。

・まとめ

 いずれにせよ、運命愛や超人思想といった要素は物語の大きなウェイトを占めることになると思われる。ほむらだけが運命を受け入れていないことから、前作に引き続き最もカギを握る人物になるだろう。唯一時間に干渉できるキャラクターが、どのように自身の存在を定義し、運命を受け入れるのか。制作陣の表現に期待したい。

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