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本気で英語を学ぼうと思ったきっかけvol.2

はじめに

以前の投稿で英語を学ばねばならないと感じた出来事を書かせていただきました。

その後の経過、続きを今回書きます。

もし、これからなんとなく英語やらなきゃかなって人の後押しになればと思います。

こちらに前回の投稿リンクをおいておきます。

大学卒業後〜就職〜

大学卒業後、2つの道が私にはありました。

一つは日本メーカー技術職、もう一つは外資系商社営業。

英語はこれから必須、より海外との繋がる機会が多いほうが英語を学べると思い、外資系商社の道に進みました。

親の反対もありましたが結果的には良かったと思っています。

さて、英語を学ぶ機会がこれで強制的に作れると思ったのですが、いざ入社してみると英語よりも韓国語を学ぶことが求められたため、入社3年目くらいまで私の英語学習は一旦停滞し、韓国語の習得に充てられることになります。

ここの話はまた別でまとめたいと思うのでここでは割愛。

人生の転機その2〜経緯〜

韓国語の習得が一段落した入社4年目くらいのタイミングでまた、英語習得が必要であることを再認識させられる出来事がありました。

外資系商社ということもあり、世界中に支店がある会社だったので年に数回、事業戦略といった方針を協議し合うワークショップなるものがありました。

通常、実務的に実働を担う課長レベルの人間が各国から参加して、自分の担当地域の事情を説明し、各国担当者に協力を得る活動をするものでした。

当時の自分はというと4年目ですから、まだまだ素人。ようやく会社の中をあるていても緊張感なく過ごせるレベル(言い過ぎ?)

そんな私に当時の上司は、「行ってこい」とのお達し。拒否権はなかったので、致し方なく参加しました。


人生の転機その2〜きっかけ〜

大学時代に受けた英語への関心は薄れ、このときは韓国語習得に注力していた時期なので、英語はというと点でダメダメ。中学生の教科書レベルの会話さえまともにできるか?というレベル。

さて、各国の担当者が参加という時点で会議の公用語は、「英語」

自分の担当領域の話についてはプレゼン資料を予め用意し、話す内容もカンペを丸読み。 結果は火を見るより明らか。

一方的に自分から説明をしても、聞いている人からの質問が全く理解できない。

双方向のもミュニケーションなんてあったもんじゃない。

ただ、言いたいこといってスピーカーになっただけ。

会議運営者に英語→韓国語の通訳をしてもらい最低限の会話は、してもらい出張に来た意義は果たしました。

これまでの人生、何事も期待値の8割〜9割くらい何とかこなして来た人間だったので、稀に経験する悔しい出来事でした。

皆と同じスタートラインに立つことすらできず悔しかったです。

会議の最終日、懇親会がありましたがあまり記憶がないです。

皆は二次会へ行ったようですが、私は早々にホテルに引き上げて上司へ報告。

一通り会議の進捗と結果を報告し終えた後、正直に自分のダメダメだった顛末も報告しました。

そんな自尊心ズタズタな私に当時の上司は、

「そうか、言ってくれてありがとう。でもな、お客さんの前じゃないし、失敗したって所詮身内の会議だ。気にすることはない。

できないことが分かったんだったら、これから出来るようになればいい。

それだけ分かれば、今回の出張だって十分意味があった。また明日からがんばれよ。」

普段、帝国陸軍のような上司なのですが、この時の自分にとっては酷く身に沁みた言葉でした。

報告の電話を置いた後、一人泣きました。

上司の言葉もそうですが、できない自分が不甲斐なく悔しくて悔しくて。

これが、自分にとっての第2の英語習得のきっかけでした。


改めて自分の経験を振り返ると、何かを成し遂げた時、感情特に「悔しい、怒り、反骨心」といったものが自分の原動力になるのだと気づきました。

読んで頂いた皆様も私の経験談が一つのきっかけとなりましたら幸いです。


後日談

不甲斐ない経験をし一念発起。

本格的に英語の勉強をはじめました。

通勤、退勤時の電車ではPodcastを聞く、関連する通信講座を買いあさり、TOEICを定期的に受けて、土日は家事を終えたら購入したテキストを朝から夕方までやり続ける。

そんな生活を続けて約1年ほど、TOEIC300点→600点まで押し上げるに至りました。















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