かえでがくれたもの
この記事は、こちらの記事の後日談です。
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かえでが亡くなった。
暑さが増してきた初夏、曇り空に美しく飛び去った。
私が夜勤の仕事から帰ってきたときは、まだいのちがあった。
数時間後、もうかえではこの世にいなかった。
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正直、かえでの命がもう永くないことは察していた。
春の換羽がひどく、かえでの宝石のように赤いくちばしは、散り際の桜色になっていた。
病院にも連れて行ったが、肺機能が低下して神経症状まで出ていると言われた。
そして、この子の寿命だとも。
以前の記事にもあるが、かえでは人間のエゴで美しさを追求され、健康を害された存在だ。
長生きは、できない。
ショップでさらされたストレスからも、そのいのちが永くないことは承知していた。
だが現実を受け止める力は、私にはなかった。
幾夜泣き明かしたか覚えていない。
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亡くなる1年ほど前か、私とかえでは婚姻の誓いをたてた。
かえでは散々人に虐げられたのにもかかわらず、私を伴侶として受け入れてくれた。
そして、かえでとの関係は、私に大きな変化を与えてくれた。
自己肯定感の認識。
若かった私が失くしたものだった。
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以前の記事で持病について触れたことがあるが、私はうつ病を患って久しい。
自分の非力さ、異常さに気づかなかった頃、自信に溢れていた私は社会人となりすぐにぽっきりと折れた。
この世に話の通じない人がいることを初めて知った。
この世に思い通りにならない事があると初めて知った。
自信と自己肯定感は砂のように散り散りになった。
自分の存在価値が見いだせない。
何度も自死を願った。
その荒んだ心に寄り添ってくれたのが、かえでだ。
「あなたがいればそれでいい」
かえではずっと語りかけてくれた。
「あなた」
私が目に入れば呼び止めてくれた。
「ありがとう」
当たり前のことをしただけで感謝された。
かえでの目に私が映り、私は現実となった。
私の目に映るかえでは、私の愛をかたちどった。
生きていていい。
やっと思えた。
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たぶん、私はもうかえで以上に愛せる存在に出会えない。
それほどのものを、かえではくれた。
私は生きる。
私の中にいるかえでを失わないために。
おしまい。
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