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未練~ムンク展(2018年)のこと

案件をとれなかった、そもそも「やりたい」と手を挙げず、後になって後悔した展覧会は、少なくない。
2018年の『ムンク展』はその一つだ。

世界で最も知られた絵画の一つ(『名画BEST100』(永岡書店)でも5位にランクインした)である<叫び>のバージョンの一つが展示されることで話題になっており、私も見に行った。
昔、美術史に興味を持ち始めたころは、何となく苦手意識の強かった相手であり、2018年においてもその感情が少なからず私の中に残っていた。
が、それでも、足を運んだのは、一種の「怖いもの見たさ」というのもあっただろうか。

彼の人生についても、いくつかのエピソードを断片的に知ってはいたが、それも苦手意識に拍車をかけていたかもしれない。
ゴッホ以上に面倒くさいな、と。

今でも、ムンクの絵を好き、とはたぶん言えない。
が、どうしても惹かれてしまうものを感じる。
その原因の一つが、この数年前の『ムンク展』であり、そこに来ていた初期作品の一つ、<病める子>だった。

<叫び>同様、この<病める子>もいくつかバージョンがあるらしく、展覧会に来ていたのがどれだったかは今ではわからない。
が、作品の前に立った時、ドキリとした。
少女の顔、皮膚の向うに、骸骨が見えたからだ。
この<病める子>は、ムンクが15歳の時に経験した、姉ソフィエの死が元になっている。
その前、5歳の時には、母が結核で亡くなっており、それもまた<死と春>という作品に取り上げられている。

窓の外の、明るい陽光に満たされた春の風景。
それに対して、前景の、母の遺体が安置された室内の冷やかさと静けさ。
窓の外の風景が残酷なまでに、「死」という現実をくっきりと浮かび上がらせる。
私にとっては、今でも忘れることのできない絵の一つでもある。

母の死後、父はキリスト教の信仰にのめり込むようになり、子供たちにも厳しく接した。
そしてその10年後には、仲の良かった姉が母と同じ病気で死んだ。
5歳の時にはわからなかったこと、見えなかったものを、ムンクは間近に見続け、その記憶が彼の深部にまで刻みこまれたことは想像に難くない。
ムンク自身も、病弱で、様々な病気や精神病に悩まされ続けた人生だったが、それでも80歳まで生きた。
恋愛も経験したが、結婚することに消極的で、そのせいでストーカーと化した婚約者にピストルで指を吹き飛ばされた。

昨年、『名画BEST100』で、ムンクのページを担当した時にこのエピソードも書いた。
が、ムンクに関してはまだまだ書きたいこと、語りたい事が沢山あるように思う。
決して一筋縄ではいかない、生半可な書き方はできない相手、とも感じている。
だからこそ、書きたい。その思いは、ずっと私の中で息づいている。

次に、ムンクをメインとして取り上げた展覧会が開かれるとしたら、それはずっと先になってしまうだろうか。

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