恩田陸『木曜組曲』を読みながら
『木曜組曲』は、私が初めて触れた恩田陸作品だった。
恩田陸のデビュー作である『六番目の小夜子』については、「面白い」らしいとは聞きながらも、なかなか手に取れなかった。
理由は、中高生を主人公にした青春小説というものに苦手意識を抱いていたから。それは、今でもあまり変わっておらず、額賀澪さんの小説も、名前を知ってから手に取るまでに1年くらいかかった。
それに対し、『木曜組曲』をすんなりと開く事ができたのは、一つはメインとなる登場人物たちが、成人だから、そして全員が「物書き」だったからだった。
私は「作家」を含むクリエイティヴな職に就く人種をメインに据えた話に、どうも心惹かれる傾向がある。
彼らがどんな作品を書いているのか。
彼らは、どこから、作品の着想源を得ているのか。
そして、できれば何が「書く」根となっているのか。
架空の人物について、小説内で得られる情報は限られているだろうに。それをどれだけ行間から引き出せるか、うずうずしながらページを捲るのが常だった。
いっそ作家自身のエッセイでも読めば良いだろうに。
だが、架空の存在だからこそ、気になって仕方がなかったのだろうか。
月が地上にいる私たちには、いつも一部分しか顔を見せてくれないように。
そして、『木曜組曲』に出てくる女たちは、誰もが私の好奇心をくすぐり、掻き立ててくれる書かれ方をしていた。
5人の中では最初に出てくるノンフィクションライターの絵里子。
編集プロダクションを経営し、自らも骨董や美術についてエッセイを書いている静子。実は、彼女はある理由から小説を書いていたのだが、その小説についての描写が、私にとって書きたい小説のイメージ像ともなった。
心理サスペンスを得意とする尚美と、その異母姉妹で純文学作家のつかさは、最初に読んだ頃は結構好きだった。
彼女たちが10代のうちから「書く」ことに取り組み、それぞれ小説家としての道を歩んでいったプロセスは、「いつかは自分もこんな風にデビューしたい」と思いを掻き立ててくれた。
だが、私は結局、作品はおろか、習作と呼べるものすらも未だ書けていないのが現状だ。
どこからアイディアを拾って来れば良いのか、何を書けばよいのか、が全く見えないまま、年月を過ごしていた。
再び『木曜組曲』を開いた時、以前繰り返し読んでいた時との最大の違いは、私が「物書き(ライター)」の端くれになっていることだろう。
私は、一時期はあれほど囚われたくない、離れたい、とすら思った美術史に、「書く事」を通して関わっている。
このまま漫然と「正社員登用」などとあてにならない夢を頼りに、安い給料で働くだけで良いのか、と考え、やりたいことを問い直した時、「できるならば、書くことを仕事にしたい」という思いが相変わらず自分の中にあることに気づいた。
とにかく「書く」場所を、と解説したアメブロで、とにかくジャンルを問わず思いついた事を書いては放り込んでみた。
読んだ本について。
日記のような身辺雑記。
そして美術。
それらの中で、一番評判が良かったのが、美術関係の記事だった。
時々、1か月に1,2回、思いついた時に長めの記事を書いて約一年。
ふと思いついて、「美術ライター 募集」と、検索をかけてみて、出てきたのが、「bitecho」(現・Web版美術手帖)でのライター募集のページだった。
「やりたい」
言葉が私の口をついて出た。
「何としても、ここで書きたい!」
就職活動で撃沈しまくった苦い思い出が時折頭をきざしながらも、応募メールを書いた。
失礼はないか。
読みやすいか。
自己PRはちゃんとできているか。
書きあがった文面は、他の人にも見てもらった。
できる限りのことはした。
その後、「サンプル記事と企画案を3つ」、言われるままに書いて送り、面接に臨み…今に至る。
採用の通知をもらってからは、ひたすら書いてきた。
自分の書けそうな展覧会を探しては、企画を立て、売り込んだ。
対応ジャンルも、最初こそ西洋美術ばかりだったが、亀がそろそろと首を出すように、少しずつ広がってきた。
何より私自身の興味の幅が広がってきた自覚がある。
そして、今となってはこんな生意気すら言う始末である。
「他の人と同じことはしたくねえ!」
「絵の説明だけなんて面白くない!」
じゃあ、「何をさらにプラスできる」のさ?
それが毎回毎回の悩みどころではある。
そして、悩み、唸って、書きあがるまでは苦しい思いを味わうことはわかっているくせに、終わると、「次」を考えてしまう。
『木曜組曲』の絵里子の台詞だっただろうか。
「因果な商売だよねえ」
本当に、この一言に尽きる。
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