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徒然日記~久しぶりに漱石を書き写してみた
昨日、久しぶりに書き写しをしてみた。
題材は、夏目漱石の『夢十夜』第一夜。
死にゆく女に、「百年後に会いにくるから、待っていて欲しい」「自分を埋めたところに星の破片を目印においておいて」と頼まれ、主人公は聞き入れる。
このやり取り、女の描写、そして「再会」の時…描写の一つ一つが硬質で美しい。
ああ、こういう話だったっけか、と思った。
小説の書き写しは、ライターとして活動を始める少し前から、文章修行として始めた。
中島敦の『山月記』に始まり、芥川龍之介、森鴎外、川端康成、と青空文庫やら部屋の本棚にあるものやらを中心に次々と手を広げた。
天声人語を書き写していたこともあったが、ある時、書いていた記事の冒頭が、もろに天声人語そっくりになっているのに気づいて、それでやめた。
短編小説を中心に行っていたが、2年前に長めのものをいくつかやった。その一つは、漱石の『こころ』だった。
漱石の『こころ』は私にとっては難関だった。何度も手を出しては、冒頭の鎌倉の海岸での出会いより先に進んだためしがない。パソコンのメモ帳に書いていたせいでもあっただろうか。今日はここまで、と思って一度ファイルを保存してしまった後、再び開いたためしはない。しょうもない話である。
書き写してみたい、と思いながら未だに果たせていない作品の一つが、谷崎潤一郎の『細雪』だ。中公文庫の一巻本のあの厚みには、慄かされる。浅田次郎さんのエッセイでも、三島由紀夫の『金閣寺』など、いくつかこなした後で、『細雪』に挑んだ、とある。
『こころ』が富士山だったなら、『細雪』はエベレストだろうか。
結局、途中で投げてしまうのが怖くて、そーっと手を伸ばしては引っ込めることを繰り返し、いつの間にか書き写しトレーニング自体をやらなくなった。
「惰性でやっている」自分に気づいたこともある。「書き写す」ことで、得たいものが、わからなくなり、自然モチベーションもゆるゆると消えてしまった。
そして、昨日久しぶりに、青空文庫を開き、原稿用紙を広げて、マス目を一つずつ埋めて行った。
行き詰まりを打開するため、これからへの不安を消すため、ライターを本業にするためには、とにかく書くしかないのに書けない、という状況をどうにかしたかった。
何かに打ち込むことで、一時的でも考えない状態を作りたかった。
何事に取り組むにせよ、集中できていない、という自覚もあった。
そんな時に、小説の書き写しは、発想力や集中力の鍛錬にも役立つ、と書かれていたのを思い出した。
藁をも掴む思いで、私はペンを手に取った。
しかし、題材に関しては迷った。
ここ(紙)に何を写すか。
漱石にしよう、と何となく決めたが、どの作品にするか。
虞美人草?やったことはないし。だが、長すぎないか。続けて行くつもりはあるか。
そう問うて、結局選んだのは『夢十夜』だった。
これなら、気になる話だけを書いても、全部書いても良い。
とにかく、「完走できた!」と思えることが今一番必要なことだ。
そして、一枚、二枚…と私は書き進めた。ひたすら、目で言葉を追い、文字を一つ一つ写し取った。自分でもコントロールできなかった焦りが、少しずつ静まっていくのを感じた。
ああ、これが欲しかったのか。
それにしても、どうして、すぐに「欲しい」と思うものにたどり着けないのだろう。今の自分に「必要」なことを見出せないのだろう。
だが、それはさておき、今回自覚したことをここにまとめておこう。
行き詰まりを感じたら、とにかく没頭できることをする。
私の場合、おすすめは「文章の書き写し」。
題材は、短いものが良い。短編小説、ショートショートなど、なるべく達成しやすいものを選ぶ。(目安としては原稿用紙10枚以内におさまるもの)
おすすめは、夏目漱石の『夢十夜』。夢の内容のバリエーションも豊かなので、その時の気分に合ったものを。
「やるべきことがあるのに、達成できてない」「ちゃんとやれるかわからない」と焦るからこそ「完走した!」と感じられることが大事。