仏像にはまった話~運慶の金剛力士像と、澤田瞳子『満ちる月の如し』と
好きな仏像は、と問われれば、私は運慶の作った像を挙げるだろう。
たとえば、東大寺南大門の金剛力士像。
奈良への旅行で、間近で見た際、私は地面を踏みしめる足に向けて何度もシャッターを切った。
そこがちょうど目の高さにあったからだけではない。
重量感、力強さ、存在感…像の持つ様々なエッセンスが凝縮されているパーツと感じたからだ。
こんなに力強い像を作れる人が、日本にいたのか。
それも、「神のごとき」天才ミケランジェロが、<ダヴィデ>を作るよりも約300年前に。
その事実を思い起こした時、私は底の底から震えた。
この経験が、後に東博での『運慶展』に際し、「記事を書かせて欲しい」と、そのためなら土下座でも何でもしてやる、という思いへと繋がり、噴火するとはまさか夢にも思わなかった。
そして、記事のための取材と、執筆を通して、私はこの鎌倉時代の仏師にのめりこんで行った。
会場にも二回足を運び、特に毘沙門天像の周りはぐるぐると歩き回り、表情に、背中に、感嘆の息を漏らした。
逆に、そこまで興味が無かったのが、平安時代の仏師定朝だった。
この平等院鳳凰堂の<阿弥陀如来像>も、写真で見る限り、どことなく茫洋としているなあ、というのが印象的だった。
こんなのが、貴族の好みなのか、と。「こんなの」―――栄華を極め、さらに極楽浄土への往生を願い、随分とまあ欲深いことである。
しかし、本当に「幸せ」だったのだろうか。
権力は、塩水のようなもの、と喩えられる。飲めば飲むほど、喉が渇き、決して満たされることがない。
権力を手にするために、他の人間たちを蹴散らし、時には身内にも犠牲を強いた。恨みは山ほど買っていよう。
また、押しのけられ、日陰で生きざるを得ない人々も多くいる。
そのような人々にも、分け隔てなく、静かに光をあてる「月」。
太陽のように強烈でも暖かでもない。だが、電気などなかった時代に、静かに夜を照らしてくれる光をもたらす「月」は、遥かに遠い存在であると共に、どれほど憧れを掻き立てる存在だっただろう。
そんな風に考えるようになったのは、澤田瞳子さんの『満つる月の如し 仏師・定朝』を読んだ影響もあるだろう。
仏師として才能に恵まれながら、仏像づくりに意味を見出せず、煩悶する定朝。
そして彼を巡る身分も立場も様々な人々が、それぞれに抱える悲しみや苦しみ、愛。
「救い」が、生きて行く上での「よりどころ」が欲しい。
その思いを受け止めるために、「仏像」はある。そして、時代ごとに違う姿をしている、と言うべきか。
ただ黙って見守って欲しい時もある。そこに確かにいて、見ていてくれる、と。
あるいは、力強く励まして欲しい。叱ってでも、諭してくれる存在としてあって欲しい。
『荒仏師運慶』を読んだら、澤田さんの『満ちる月の如し』をもう一度読んでみよう。『龍華記』には運慶も出てくるらしいから、そちらも読んでみたい。