雑記~私が書くわけ
昔、感想文や国語の記述系の問題が、大嫌いだった。
何をどう書いたら良いかわからず、自分が空っぽだと感じたから。
適当なことを書いて、それが自分の「内面」だとして相手に見られること、そして自分の空っぽぶりが相手にばれると思うと怖かった。
その怖れは、今でもまだ私の中にある。(こんなことを言ったらアレだが)
これまでも、知識を増やすことで、何とか「空虚」を埋めようとしてきたような気がする。
表現することに憧れながら、自分に「表現する」ものがないことを知るのを恐れている。
だから、それができる人間について知りたがる。
何が彼らの源泉、モチベーションなのか、と。
何が彼らの血肉になっているのか、と。
表現者の中でも、ミケランジェロなど我の強い人が好きなのは、「こうしたい」というはっきりした物を持っていることへの羨望があるからだろうか。
そういえば、宮城谷昌光の『楽毅』の一巻、物語の最初の方にこんな話があった。
主人公・楽毅が若いころに斉に留学した時に、田氏という人と知り合った。
彼は市場の役人をしているのだが、「歴史」を学ぶ理由について、確かこんな風に語っていた。
「歴史を学んでいる時、自分は王にも将軍にもなれます」
今の自分では到底夢見ても届かない立場に、想像の中でも疑似体験できる。
なぜ、この人は、この局地でそのような選択をしたのか。
なぜ、この人は、事件を経てこんなにも変わってしまったのか。
一体、変化の根底には何があった?
何を考えていた?
同じように私は、書く事を通して、表現者の内面に出来る限り近づこうとする。
一体何を求めていたのか。
なぜ、安定した道にわざわざ背を向ける?
なぜ、このような表現方法を選ぶ?
その答えに迫ろうとしたタイプの記事が、この「クリムトとウィーン分離派」だったとも言えるだろうか。
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/19934#.Xd9dbYZHcZx.twitter
私は、クリムト展について他にもう一本書いたが、なぜかそちらはあまり評判にはならなかった。
一体何が原因なのだろう。
この記事に関しては、根っこにあった疑問は単純だった。
・クリムトに関するキーワードとして頻繁に出てくる「分離派」という単語の意味がよくわからない。一体何?
・クリムトは、なぜウィーン大学の天井画でわざわざ「冒険」に出たのか?
・クリムトは、一体なぜ「分離派」というグループをわざわざ結成した?
一体彼は、何がしたかったのか?
その答えを簡単に言うならば、
「テキストで決められたものではない、新しく自由な、自分らしい表現の冒険の場が欲しかった」
とでも言おうか。
テキストやルールをなぞっていれば、それなりの物が作れる。
でも、それじゃあ満足できない。
だが、今ある発表の場では、「規格外」が嫌われる。
なら、自分たちのステージを作ってしまえ。
そのような流れで、「分離派」やフランスの「印象派」グループ、その他様々なグループが、19世紀のヨーロッパでは生まれた。
「自由にやって良い」
その見本を見せたのが、これらグループだった。
この「自由にやって良い」は時に怖い。
何が正解なのか、が見えないから。
自分がやっていることが他人にどうみられるのかが怖い。
胸を張っていれば良い、と言うかもしれない。
だが、怖れはぬぐえない。
一歩を踏み出すには?何が必要?
ボキャブラリーや、表現のバリエーションに自信がない?
なら、学んで(インプット)して、そしてアウトプットする。
このプロセスを私は、最近覚え始めたところ。
「自由な」「自分らしい」表現、「書きたいもの」は、見えそうでまだ見えていない。