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ミュシャとロートレックに学ぶこと

ゼロから一は生まれない。
ローマは、一日にしてならず。
ミュシャやロートレックのポスターデビューした時の周辺を調べていると、こんな言葉が思い出される。

二人とも、第一作のポスターで、鮮烈なデビューを果たした。
ミュシャに至っては、わずか数日で仕上げた、というオマケつき。

しかし、その「成功」の裏には、地道な積み重ねがあったのは忘れられがちだ。

ロートレックは、デッサンを積み重ねてきた。
ムーラン・ルージュの常連で、雰囲気もよく知っていたし、ダンスも目に焼き付いていただろう。
それをシンプルな線で、動きまでも写しとるのは易しい技ではない。

 ミュシャも、事前にサラの舞台を見た、と言っても、良い席で、ではなかっただろう。
 それでも記憶の底からイメージを引っ張り出し、最も美しく威厳ある姿を等身大に描き出した。
 本などの図版でも、「華やかだな~」とは思うが、やはり本物を前にすると、ドキリとさせられる。
 〈ジスモンダ〉は、ミュシャ関係の展覧会では必ず出てくるから、何回も見ているはずなのに。
 これが、ポスター(広告)として、町に張り出された時を想像してみる。
 サラが扮した気高く美しい女王が、舞台という異世界から、抜け出して、目の前に現れたーーーそう思えたのではないか。
 しかも、等身大に描かれた彼女は、やや斜め上を見つめている。こちらとは、目を合わせない。
 それゆえに、私達は、仰ぎ見ざるを得ない。そのために、より彼女が大きく、より高い位置にいるように思える。まるで「女神」のように。
 そのことが、また見る人の胸に「憧れ」を掻き立てる。

 ここまで書いていて思ったが、ミュシャも、ロートレックも、デビュー作でブレイクできたのは、見る人の心(感情)を「掻き立てる」仕掛けが施されていたからではないだろうか?
 イメージの力、と言おうか。

 さて、それをどこまで私は表せる?
 

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