ピエール・ボナール(「日本かぶれのナビ」) メモ
19世紀美術において、日本から入ってきた浮世絵が与えた影響の大きさは有名である。
ジヴェルニーのモネの家には、今でも彼が生前に集めた浮世絵コレクションが残されている。
ゴッホに至っては、作品を収集するのみならず、模写まで手掛けた。
それらの詳細について、下の記事にまとめたこともある。
モネ、ゴッホ、そしてメアリー・カサット。
記事の中で取り上げた三人に共通するのは、「浮世絵」という、これまで馴染んだ美学とは全く異質の美学に基づいた「新たな美」のかたちに触れ、そして貪欲に吸収し、自らの糧にしようとする姿勢、と言えるだろうか。
この時は、印象派やその周辺に目を向けていたが、この記事に続きをつけるとしたら、注目したい画家が二人いる。
今日はその一人、ピエール・ボナールについて。
彼は、1890年代に結成された「ナビ派」の一員である。
印象派を越える「美」の創造を目指し、アカデミー・ジュリアンに通う若い画学生たちによって結成されたグループで、ゴーギャンや日本美術の影響を強く受けていた。
彼らはお互いに「〇〇のナビ」とあだ名をつけていたが、ボナールのそれは「日本かぶれのナビ」。仲間内でも傾倒具合がもっとも強かったのだろう。
実は、彼はもともと法学部の学生だったが、その一方で画塾アカデミー・ジュリアンにも通うという生活を続けていた。
一度は弁護士の道に進んだものの、翌年、彼は方向転換のチャンスを掴む。
フランス・シャンパンの広告デザインのコンペに応募、見事勝ち取ったのである。
単純化され、流れるような曲線で表現された女性の体つき。
色面を組み合わせてできたその表現は、浮世絵の影響が色濃い。
そして、このポスターでの真の主役は、女性が持つグラスからあふれ出るシャンパンの泡だろう。
この泡の表現の源流にあるのは、北斎の水の表現と言われている。
さらに、ナビ派の一員として、本格的に活動するようになってからも、例えば、縦長の画面など日本美術の影響が指摘されている。
彼の「日本かぶれ」はまさに、キャリアの最初からだった、と言えよう。